南京事件否定論者に「資料を見せて」も無駄な理由

よく“南京事件が史実なら証拠になる資料を提示すればすむことじゃないか”と気軽に言って下さる方がいるわけですが、そういう人々は南京事件否定論者(あるいは一般に歴史修正主義者)がどんな人間であるかを知らないんですね。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://b.hatena.ne.jp/munyuu/20080902%23bookmark-9862394
での CrowClaw さんのブクマコメントに対してこんなエントリを書いた人がいます。
ファシズムに精緻な定義なんて無いし、ナチスはファシズムでは無い

ファシズムに精緻な定義なんて無いよ。


なぜって、1943年にスターリンが「ソビエト以外の社会主義ファシズムと呼び、おとしめてしまえ!」と出した命令からドイツの国家社会主義ファシズムと呼ぶようになっただけだから。


大戦中に始められたプロパガンダを、スターリンソビエトに心酔していた間抜けな日本人が日本国内に広めただけなんだよね。

この主張を裏付けるのは簡単で、「スターリンの命令書」を提示すればいいわけです。もっとも、命令書の原本は例えばモスクワの公文書館にある、オンラインで公開されてはいない、という場合であればハードルはかなり高くなります。とはいえ、一般人がこういう“知識”を入手するのは多くの場合歴史家の書籍を通じてですから、まっとうな歴史学者の著作の中に43年のスターリンの命令によって「ドイツの国家社会主義ファシズムと呼ぶようになった」という記述があることを指摘できれば、素人間の議論としてはまあ十分に論拠として通用します。
で、私が上の主張の根拠を問うたところ、「書庫にあるのは確かだから、そのうち探すよ」という返事が返ってきました。何の本だか知りませんが、ここで彼は「根拠となる文献を私蔵している」と主張したわけです。
ところで、「ファシズムに精緻な定義なんて無い」という主張への反駁が hazama-hazama-hazama さんからなされていることをいったん脇においたとして、上の主張から予測される命題として「43年のスターリンの命令以前には、ドイツの国家社会主義ファシズムと呼んだ事例はない」があります。言い換えれば、43年以前にドイツの(ナチスが政権をとって以降の)体制を「ファシズム」と称している事例が(単なる特殊な例外とは言えない程度に)あれば、それは上記主張への反駁となります。
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20080910/p2

ちなみに上述のスターリン云々だけど、これはもう43年以前に、イタリア以外の政体について「ファシズム」という語を用いている事例があることだけをとっても与太だということがわかる。ネットにつながってる人間なら誰でも確認できる事例をいくつか。強調は引用者。

例言
一、本書は曩に外事警察報第百二十四号(昭和七年十一月)乃至第百四十三号(昭和九年六月)に亘り随時掲載せるものを輯録したるものなり。
一、本書に於ては大體に於て一九三三年(昭和八年)末に至るまでの事実に就き記述したり。従つて其の後ソヴィエート聯邦に於ける第二次五年計画の進捗並に諸国に於けるファシズム的勢力の伸張に伴ふソヴィエート聯邦内外の情勢の変化、殊にコミンテルンの戦術の変化に就ては説き及ばず。
一、本書は当時の内務事務官田中重之氏の執筆に拠る。
昭和十二年八月 内務省警保局
(『共産主義の理論と実践 (ロシヤ共産党並に共産インターナショナル発展の歴史的観察)』、アジア歴史史料センター:リファレンスコード=A04010493800)

他にも外務省の資料、「共産党宣伝関係雑件/対日宣伝関係 第十巻/労働新聞及雑誌太平洋労働者関係 第二巻 9 昭和10年9月10日から昭和10年9月18日」(リファレンスコード=B02030954100)は、ニューヨーク総領事が入手した『労働新聞』を廣田外相宛に送付したというものだが、その第153号第2面(資料4ページ)には「ドイツ、ポーランドオーストリーその他におけるファシズムの勝利」という文言が見える(関係ないが、同号の1面では相沢中佐による永田軍務局長斬殺事件が報じられている)。社会科学などの領域におけるマルクス主義の影響力が日本よりも弱かった国、例えばアメリカでもナチス・ドイツについて「ファシスト」という形容詞は使われるんであって、気に入らないものはスターリンのせいにしてしまう発想こそ、「脳だけ冷戦時代にコールド・スリープ処置をしてそれっきりなのか?」と評されるべきであろう。

さらにコメント欄では higeta さんから更なる事例の提示がありました。

試しに、ファシズム研究について、Webcat Plusで検索してみると、
以下などがヒットします。


◆木下好太郎『ヒットラーと獨逸ファシズム運動』内外社、1932
◆獨逸ファシズム犠牲者世界委員會編・宮西夏樹訳『ヒツトラーの戦慓 : 全世界の謎? ナチス・テロの暴露』文原堂、1934
◆ロバアト・A.ブレイディー著・日本青年外交協会研究部訳『ドイツ・ファシズムの精神と構造』日本青年外交協会出版部、1939
◆獨伊文化研究會編『ファシズムと勞働政策』巖松堂書店、1940

id:munyuu はこのエントリのコメント欄にコメントしていますから、もちろんこれらの反例の存在は目にしているわけです。
さらに今朝、kitakoshi99さんが43年以前のアメリカにおける用例を指摘されました。ここまで来れば「ファシズムに精緻な定義なんて無いよ。/なぜって、1943年にスターリンが「ソビエト以外の社会主義ファシズムと呼び、おとしめてしまえ!」と出した命令からドイツの国家社会主義ファシズムと呼ぶようになっただけだから」という主張はとっくに破綻してしまっており、挽回するには「スターリンの命令書」を示す以外に方法はないはずです。ところが・・・。南京事件否定論に与するような人はこんなことではへこたれないのです。

munyuu 2009/06/08 10:55
id:Apeman ←ああ、やっぱり都合の良いように脳内変換されていましたね。私が言ったのは「スターリンファシズムに悪いさげすみとしての意味合いを与えた」ということですよ。
(http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20090602/p1#c1244426126)

なんですと〜! 「1943年にスターリンが「ソビエト以外の社会主義ファシズムと呼び、おとしめてしまえ!」と出した命令からドイツの国家社会主義ファシズムと呼ぶようになっただけ」が意味していたのは実は「スターリンファシズムに悪いさげすみとしての意味合いを与えた」ということでしかなかった、と!? 「都合の良いように脳内変換」しているのはどっちでしょうか? 何の根拠もない主張をし、その誤りを指摘されると「そんなことは言ってない」と居直って平然としている(そしてほとぼりが冷めればまた平然と同じ主張を繰り返したりする)人間に対して「資料を示す」ことが意味をもつでしょうか? これは決して特殊な例外ではありません。「南京事件はリアルタイムで報道されなかった」と主張するので当時の報道例を指摘したら“その報道はデマ、プロパガンダだ”と言ってみたり、CNNばりの実況中継はなかっただろ的なことを言ってみせる事例もありました(こちら)。