「道義的責任」のインチキ

秦郁彦と(日本軍「慰安婦」問題で)肩を並べて登壇した大沼保昭氏にせよ、ネトウヨ顔負けの戦後史観を『SAPIO』誌上で開陳した*1井上達夫氏にせよ、「アジア女性基金」擁護派ってほんと歴史修正主義に甘いですよね。
小林よしのりを看板にした雑誌を媒体に選べちゃうという時点で、「道義的責任」論(=日本が法的責任は否認しつつ道義的責任を認めたのはすごいことなんだ! という主張のことをここではこう呼ぶことにします)の欺瞞性を自ら明らかにしたも同然だと思います。
「道義的責任」って、アジア女性基金を通じて「償い金」を渡したらそれで完了、ってものなんでしょうか? 性暴力被害者に金を渡したあとで「お前は同意しただろ」とか「お前もまんざらじゃなかっただろ」*2と言い放つなら、それって「道義的責任をとった」と言えるのでしょうか? いや、むしろ「金で口封じをしようとした」と言われるに違いありません。しかし「道義的責任」論者は、日本の右派の同じようなふるまいに実に寛容です。
従来、「閣僚」と「ただの国会議員」という立場を使い分ける歴史修正主義的政治家というのは珍しくありませんでした。閣僚として「南京事件マボロシだった」と言えばクビが飛ぶけど、ただの議員ならちょこっと新聞種になっておしまい、というわけです。しかし安倍総理の場合、総理在任中に「慰安婦」問題否認論を口にした、という意味でやはり自民党の政治家の中でも突出していると思います。こういう人物が首相をやっている時に「日本は道義的責任をとった、すごい!」などと言えてしまう人物の説く「道義」なるものに、私は道義的な価値を見出すことができないですね。

*1:その内容についてはすでに scopedog さん法華狼さんが批判しておられますので、屋上屋を架すのはやめておきます。

*2:驚くべきことに、いまやフェミニストと呼ばれる人びとがこのような主張を含む書籍を激賞していますが。