植村裁判札幌地裁判決について

元朝日新聞記者の植村隆氏が櫻井よしこ氏を訴えていた民事訴訟の判決が、去る11月9日に札幌地裁で言い渡されました。結果はみなさんご承知の通りで植村氏の請求が棄却されましたが、一審の結果がどうであれ実質的な決着の場が札幌高裁になるであろうことは、双方の当事者や支援者にとっても織り込み済みだったと思います。
すでに原告は控訴する旨を公表していますが、ここでは原告植村氏の支援グループが公開している判決要旨に基づいて、地裁判決について当ブログの見解を述べておきたいと思います。


判決要旨のうち、実質的に勝敗を分けることになった部分は「3摘示事実及び意見ないし論評の前提事実の真実性又は真実相当性」です。裁判所の判断については判決要旨をご覧いただくとして、植村氏に関する櫻井氏の記述の真実相当性を判断するうえで非常に重要な事実として、彼女が日本軍「慰安婦」問題について公に発言するようになったのは1996年以降である、というものがあります。1990年から91年にかけて取材し記事を書いた植村氏とは異なり、櫻井氏は92年に刊行された資料集(大月書店)や95年に刊行された吉見義明さんの『従軍慰安婦』(岩波新書)などの調査・研究の成果を参照できたし、また参照すべきだったのです。近年まで続いていた植村氏への攻撃については、過去四半世紀の研究の蓄積をふまえたうえでなされたのでなければ、真実相当性があったと認めることはできないはずです。
しかし判決要旨を見る限り、裁判所は植村氏の記事が掲載された時期に入手可能だった資料のみをとりあげ、それをもってして「……と信じたことについて相当な理由があるといえる」という判断を下してしまっているように思えます。


もう一つ、植村氏の義母が「遺族会」の幹部であったという事情も真実相当性を認める根拠の一つとされています。しかし櫻井氏は、特に公知の事実というわけでもなかった植村氏の縁戚関係には注目する一方、植村氏の91年8月の記事が執筆・掲載された時点では金学順さんを支援していたのが挺対協(当時、現「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」)であって「遺族会」ではなかったこと、12月の記事が掲載されたのはすでに提訴のあとで各社とも植村氏の記事とさして違いのない記事を掲載していたこと、さらに12月の記事が掲載されたのは大阪本社版だけであること……などの、より明白な事実を無視ないし軽視していたわけです。これでなぜ「……と信じたとしても、そのことについては相当な理由がある」などと言えるのか、非常に疑問に思います。

「報道しない自由」を謳歌する『読売新聞』

2014年8月以降、『読売新聞』が非常に浅ましい『朝日新聞』バッシングに加担してきたことはみなさんご承知のとおりです。その汚いやり口については、当ブログでもその一例を紹介しておきました。
さてその後、3つの右派グループが『朝日』を相手に起こした訴訟はすべて『朝日』の勝利で終わりました。とりわけ、日本会議のメンバーも関わった訴訟(当事者は「朝日・グレンデール訴訟」と称しています)では、法律論で門前払いにするのではなく原告の主張に対する事実認定が行われ、「朝日の誤報のせいで!」という右派の主張が否定されています。
また、植村隆・元『朝日新聞』記者が櫻井よしこ西岡力らを訴えた訴訟はまだ判決がでていませんが、その過程で櫻井・西岡両氏の主張にこそ大きな誤りがあったことが明らかになっています。
このように、司法の場で『朝日新聞』バッシング側の主張が次々覆されているわけですが、では『読売新聞』はこれらの訴訟をどう報じているのでしょうか(「ヨミダス歴史館」による)。
まず驚かされるのは、「朝日・グレンデール訴訟」の原告が上告を断念し敗訴判決が確定した(今年2月)ことを報じていない、ということです。これによってすべての訴訟で『朝日』の勝訴が確定したという節目なのですが。
この訴訟の一審判決については小さな記事がでています(2017年4月28日朝刊)。この記事中で判決は次のように要約されています(原文のルビを省略)。

 佐久間健吉裁判長は「朝日新聞の記事が慰安婦問題に関する国際社会の認識や見解に何の影響も与えなかたっとはいえない」と指摘。一方で、「記事の対象は旧日本軍や日本政府で特定の個人ではなく、原告らの社会的評価が低下したとは認められない」と述べ、名誉毀損は成立しないと判断した。

あたかも原告の主張が一部認められたかのような書きぶりですが、しかし判決はこれに続けて次のように判断しています。まず「国際社会自体も多元的であるばかりでなく、前記エの各認定事実を考慮すると、国際社会での慰安婦問題に係る認識や見解は、在米原告らがいう(中略)単一内容のものに収斂されているとまではいえず」、したがって「それら認識や見解が形成された原因につき、いかなる要因がどの程度に影響を及ぼしているかを具体的に特定・判断することは困難であると言わざるを得ない」、と。要するに「朝日の誤報のせいで国際社会が誤解している」という主張は退けられているわけです。『読売』が引用した「何の影響も与えなかたっとはいえない」は言ってみれば自明の事柄に過ぎず、原告敗訴という結果に結びついているのは『読売』が引用しなかった部分の方なのです。これは「捏造」報道ではないのでしょうか?
では植村裁判の方はというと、なんと札幌地裁での対櫻井よしこ裁判の第一回口頭弁論を報じたのを最後に、一切報道していません。『朝日』を訴えた右翼グループの論理によれば、『読売新聞』の読者は、櫻井よしこ西岡力が自らの誤りを認めたことを知る権利を侵害されているわけですね。

海自に甘かった戦後日本社会

あたりまえのことですが、問題の本質は「旭日旗」によって旧日本海軍との連続性を誇示してきた海上自衛隊の体質にあります。護衛艦の艦名がしばしば旧軍艦艇を踏襲しているのも同じ体質の現れです。
どちらも、決して今回はじめて明らかになったことではありません。護衛艦命名法や旭日旗の使用について問題視する声がなかったわけではありませんが、ことの重大さに見合ったものとは言いがたかったように思います。
一つには、9条2項の厳格な運用を求める立場からすれば自衛隊の存在自体が問題なのであり、旧軍との連続性云々は二次的な問題に過ぎない、という発想があったのかもしれません。しかしもう一つ、いわゆる「海軍善玉史観」の影響も否定出来ないように思います。しかし実証研究の進展や当事者たちの証言により海軍の責任が再考されている現在、戦後の日本がなんとなく海自に甘かったのではないか? ということも検証されねばならないかもしれません。

第十一回「真の近現代史観」懸賞論文、結果発表

昨日10月10日付で、アパの第十一回「真の近現代史観」懸賞論文受賞作と、新たにつくられたアパ日本再興大賞のノミネート作品が発表されました。後者は賞金が1,000万という大盤振る舞いです。
「真の近現代史観」の最優秀賞は「文明工学研究家」という“独自研究”臭ぷんぷんの肩書を持つ草間洋一氏の「近世日本のダイナミズム―日本文明を再考する―」、学生部門の優秀賞が『「選択と集中」から「分散と底上げ」へ –富饒な大国日本を再興するために』で、どうも「アパ日本再興大賞」を盛り上げるべく選ばれた感があります。他方、「いまさら?」という感があるのが社会人部門で優秀賞を受賞した高橋史朗(「WGIPの源流と後遺症」)です。その他松木國俊松原仁といったおなじみのメンバーがお小遣いをもらっています。
アパ日本再興大賞のノミネートは元日本会議専従の江崎道朗、いま話題の小川榮太郎、そして「真の近現代史観」最優秀賞受賞歴のある高田純、の3人です。本命はやはり江崎でしょうか。大学にポストを持つ高田はともかく、あとの二人にとって1,000万というのは相当にありがたい賞金額でしょう。

朝日新聞「節目の9月18日」の報道

今年の9月18日も日本のマスコミは中国の記念式典を取り上げる記事ばかりでした。朝日新聞も「高官出席せず、対日関係重視か 中国で柳条湖事件の式典」という見出しだけで読むに値しないことがわかってしまいます。
さて、『朝日新聞』が「自虐」的な報道を繰り返してきたのかどうか、節目の年の9月18日、19日の記事を調べてみました。検索語は「満洲事変or満州事変or柳条湖事件」です。
・2016年
2016年09月19日 朝刊 「柳条湖事件85年、厳戒態勢で式典」
これだけです。


・2011年
2011年09月18日 朝刊 山梨全県 「日中関係、直視する機会に きょう満州事変80年 秋に企画展開催 甲府 /山梨県
2011年09月19日 朝刊 青森全県 「溥儀の忠臣に新たな光 板柳町出身・工藤忠の資料館開設や書籍発刊 /青森県
2011年09月19日 朝刊 北九 「撮影の戦跡紹介、保存訴える講演 写真家・安島さん /福岡県」
2011年09月19日 朝刊 「中国式典、反日封じる 日の丸燃やす若者も 柳条湖事件80年」
地方版の記事3つを除けば、やはり中国側の反応を伝える記事だけです。


・2001年
2001年09月18日 朝刊 北海道1 「中国侵略巡りきょう勉強会 札幌郷土を掘る会など主催 /北海道」
2001年09月18日 夕刊 忘れるなかれ(窓・論説委員室から)
2001年09月19日 朝刊 「忘れない、満州事変 中国各地で70周年行事」
2001年09月19日 朝刊 北海道1 「まちかど212 /北海道」
かろうじて18日の夕刊に「忘れるなかれ」と題するコラムが載ってますが、翌日の朝刊全国版の記事はまたしても中国側の動きについてのもの。


・1991年
1991年09月18日 夕刊 「ラジオ臨時ニュース第1号 プロイセン軍、パリ包囲を開始(あすは)」
1991年09月19日 朝刊 「満州事変60周年 中国・瀋陽で国際討論会」
18日夕刊のは記事とも言えませんから、この年も中国で開かれた討論会を伝えただけです。


・1981年
1981年9月18日 朝刊 「軍国主義的動き警戒 満州事変50周年で文化人らアピール_戦争関係」
ここからは全文検索ではないことに注意する必要がありますが、50年目の節目の年にこれだけです。


・1971年
1971年9月18日 朝刊 「「“満州事変”のころ生れた人の会」の 無着成恭_ひと」
1971年9月18日 朝刊 「天声人語
1971年9月19日 朝刊 「「日米」冷却を重視 日中好転の可能性示唆 満州事変40周年で人民日報」
国交回復前ですが、コラム2本を除くとやはり中国の反応を伝える記事だけ、というありさま。


・1961年、1956年、51年はキーワード検索でヒットする記事はすべてゼロ、です。


もちろん「○○周年」という節目とは無関係に執筆/掲載された記事は他にあるわけですが、右翼が言うように『朝日新聞』が「自虐」キャンペーンなど行っていたのであれば上記の日付はいずれもそういう記事で溢れているはずです。しかし実態はこれ。右翼は『朝日』のどこに文句があるのでしょうか?
なお、7月7日についての同様な簡易調査の結果はこちらです。

ETV特集「アメリカと被爆者」

日本の右派のイデオロギーからすれば「自虐」的な活動をした/していることになるはずの、2人のアメリカ人を紹介するシリーズ。実際、2人に対するアメリカ社会の反応には私たちにもおなじみのものが見られる。例えば長崎の被爆者5人の障害をつづった NAGASAKI: Life After Nuclear War を書いたスーザン・サザードさんのもとには好意的な感想に混じって「ハワイには行ったのか?」「奇襲の被害の跡は見たのか?」といったメールが送られてくる。シュモーさんの働きかけで整備されたシアトルのピース・パークには広島の被爆者、佐々木禎子さんをモデルにした像が設置されているが、この像は2度にわたって破壊行為の被害を受けた。


修復された貞子像にはいまも地元の子どもが折った折り鶴が捧げられているという。

この貞子像への破壊行為を連想させる事件が起こった。当ブログの読者の方ならご存知、「論破プロジェクト」の藤井実彦が台湾の慰安婦像を蹴るという侮辱行為を働いたというのだ。
https://udn.com/news/story/6656/3358195
むろん、日本の右翼の言い草は簡単に想像できる。「原爆の被害は真実だが、慰安婦問題は捏造だ」 しかし貞子像を破壊した人間――まず間違いなくアメリカ人――もこういうだろう。「原爆は戦争を早期に集結させ多くの人命を救った。原爆投下が非人道的な行為だというのは捏造だ」と。つまりここに見られるのは「国境を超えた歴史」と「国境に制約された歴史」の対立なのだ。

『読売新聞』の限界を露呈した「陰謀論」対談

『読売新聞』の2018年8月20日朝刊に「「陰謀論』蔓延 ゆがむ歴史」と題した細谷雄一×呉座勇一のゆういち対談が掲載されていました。細谷氏が「どちらかといえば、保守の側にアカデミックなトレーニングを受けた歴史家が少ない。一方でそれを求める読者は多く、アマチュアの書物があふれているのが問題です」と指摘している点は、細谷氏の政治的な位置を考えればフェアな評価と言えるでしょう。しかし細谷氏が「特に気になります」としているのは近著『自主独立とは何か』(新潮選書)でもとりあげた「対米従属批判」系陰謀論とのことで、対談中で触れている具体例もその系統のものだけです。専門が国際政治学だから彼自身の問題意識としてその種の陰謀論に関心を持つこと自体はおかしくないのでしょうが、しかしいまの日本の社会情勢として陰謀論の蔓延を危惧するのであれば、おそらく記者によってまとめられた「主な陰謀論・陰謀説」リストにもあがっている「コミンテルン陰謀論」を杉田水脈衆議院議員が主張していることに触れないのはおかしいでしょう。「生産性」発言で悪名を轟かせたばかりでもあり、かつ安倍首相のひきで自民党に鞍替えしたという権力中枢との近さ、もあります。
またこのリストのなかに「田中上奏文」が入っている点も、日本の右派における陰謀論蔓延を相対化したいという欲求を感じてしまいます。日本国内ではまったくと言ってよいほど影響力のない説で、かつ中国においても克服されつつある*1もの。「左」の陰謀説をとりあげたければむしろ「ムサシ」の方が有害さの度合いは高いでしょう。
対談の趣旨自体は時宜にかなったものながら、しょせん『読売新聞』、いま一番危ないところには触れることができていませんでした。

*1:「日中歴史共同研究」の中国側報告書でも注で言及されているだけで、これを明確に真正な文書とする立場はとっていない。