『イノセント・ボイス』


監督:ルイス・マンドーキ
出演:カルロス・パディジャ、レオノア・ヴァレラほか
2005年メキシコ、アメリカ、プエルト・リコ

原題は Voces inocentes 。1980年から12年間内戦の続いたエル・サルバドルを舞台に、少年兵の問題をとりあげた映画。ところでこのエントリでこんなことを紹介したら、「『ホテル・ルワンダ』のパンフレットに関東大震災の折の朝鮮人虐殺のことが書かれているのは不愉快だ」と考える人々から怒られてしまうのだろうか。ちょっとテストしてみよう。

12歳に敵艦探知訓練 旧海軍、太平洋戦争直前に

 旧日本海軍が太平洋戦争の開戦直前から、尋常小学校を卒業したばかりの12歳の少年たちに、水中聴音機を使って敵艦を探知する「水中測的」のための訓練を2年間極秘にさせ、実戦にも参加させていたことが、当時の関係者らの話からわかった。少年たちからは戦死者も出ている。旧日本軍が将来の兵員として養成した最年少の要員だったとみられるが、ごく少人数にとどまり当時から機密とされていたため、その存在はほとんど知られていなかった。
(中略)
 その後、身体検査に合格した13人が42年5月、横須賀第2海兵団に入団。海軍がその年から創設し14歳以上の少年たちを募集した「少年水中測的兵」の一員として、44年夏ごろから戦闘艦艇に配属されて実戦に参加した。終戦までに2人が戦死、1人が重傷を負ったという。
(中略)
 防衛庁防衛研究所に残る旧海軍省教育局の「軍極秘」の資料によると、38年11月26日、水雷学校の教官らが開いた研究会で、水中測的に必要な音感教育の実験で「年齢が若いほど教育効果が高い」と報告され、当時は15歳以上だった海軍の少年兵募集制度の見直しや「少年聴音兵制度」の導入が提言されている。これらの提言は海軍の少年水測兵制度創設に影響したとみられ、少年研究生たちは、本格的な制度化に向けて訓練法や効果を検証する役割も担っていたらしい。
(後略)
2006年01月06日、朝日新聞

この記事、読んだ時にこのブログでとりあげたつもりだったのだが、どこにも見あたらない。書き忘れたのかな…。


さて、映画では少年兵の問題がたしかに重要なモチーフになってはいるのだが、映画を観た印象としてはむしろ内戦が国家間の戦争以前にはらんでいる恐ろしさ、厄介さそのものがテーマになっている。12歳の少年まで動員するというのも(国家間戦争で少年が動員されるケースがないわけではないが)内戦によくみられる事態であろう。なにしろどの陣営もが人的リソースを国内から動員するわけだから、成年だけでは足りなくなってくるわけだ。


以下、ストーリーに触れますので「先入観なしに観に行きたい」という方はご遠慮ください。












政府軍が少年狩りをするシーンは何度か描かれているのだが、実は主人公は少年兵にはならない。動員された後の少年兵の姿も控えめに描かれるだけで、いわゆる「少年兵の悲劇」に焦点を当てる描き方はしていない。むしろ少年狩りにおびえながら生活を楽しもうとする主人公たちの姿(「紙の蛍」遊びのシーンは美しい)を丹念に描くことに力を注いでいる。叔父がゲリラに加わっている主人公は映画の後半でゲリラに参加しようとする)。主人公がゲリラ側に共感を持つプロセスが「自然」であるように描かれており、この意味ではっきりと政府軍ではなくゲリラ側に肩入れしたスタンスとなっている。ただし、政府軍が動員した少年兵をアメリカ人が訓練していることが映画では語られるいっぽうで、ゲリラ側もまた少年兵を使っていることも描かれてはいる。『ホテル・ルワンダ』のパンフレットに朝鮮人虐殺のことが書かれているのが不当だと考えるような人々は、「ゲリラが抵抗するから悪い」と考えるのだろうか。
さて、ゲリラに参加しようとした少年たちは政府軍兵士に尾行され、ゲリラの根拠地は襲撃されて主人公たち4人の少年は“捕虜”となる。河原で一列に並べられた少年たちが一人、また一人と処刑されいよいよ主人公の後頭部に銃が突きつけられた…その瞬間にゲリラの反撃があり主人公は命拾いをする。このシーンはやはりちょっとあざといという印象を与える。もっともこれはこの少年チャバを主人公にしたことの必然的帰結であり、他方ラストシーンのナレーションで「この物語の語り手は死んだ友達だったかもしれない」(大意)と語ることによって相対化されてはいるのだが。




(初出はこちら