けっこう毛だらけ野良猫嘘だらけ

ここでのやりとりについて


野良猫氏の嘘ゴマカシが止まらない。まるで下り坂を転がる石のようだ。Like A Rolling Stone!


「南京城内に入場したのは第十六師団だけ」という嘘とその後の取り繕いについてはすでに煙さんがとりあげておられる。その後も、私が改めて問うと「城壁を占領したあと、市内の掃討戦に向かった部隊までを含めれば他の部隊も城内には居たことになります」などと抜け抜けと言い放った(2006年07月25日 01:59のコメント)。しかも私が「殺害の多くは南京城内ではなく城外で行なわれた(とされている)、というのは南京事件を論じる人間のあいだでは常識」と書いたのに対して「初耳ですね」とのたもうた!!!!!!! 南京事件について一家言あると自称する人物で、「殺害の多くは南京城内ではなく城外で行なわれた(とされている)」ことを知らなかったのは茂木弘道氏につづいて二人目である。jimusiosaka さんに「身銭を切って書籍を買った方がいいでしょう」などと説教した人物の語ることとは到底思えない。
さらに、今朝のエントリでとりあげた佐々木致一少将についても野良猫氏は嘘をついている。

(…)佐々木少将のように国民党の軍事顧問をしていた人材も多かったのに(…)
(2006年07月23日 18:21)

佐々木致一は満州国軍政部顧問を努めていたことはあるが、国民党の軍事顧問などになったことはない。戸部良一の『日本陸軍と中国』(講談社選書メチエ)によれば、松井石根から蒋介石の顧問になれと助言されはしたが、張作霖の軍事顧問が遊興にふけっている姿に嫌悪感を抱いていた佐々木にとって「顧問は最も厭うべき存在であり、時代錯誤的」であったとされている。なお、同書によれば佐々木致一は張作霖爆殺を河本大佐に献策したと自称しているとのことである。


また野良猫氏は「普通、軍命令で民間人を虐殺せよという命令などは出しません」などと言っているが(2006年07月23日 18:21)、南京事件のみならず三光作戦についてもよく存じないようである。北支那方面軍の「第一期晋中作戦復行実施要領」には、「燼滅目標及方法」として「敵及土民を仮装する敵」だけでなく「敵性ありと認むる住民中十六才以上六十才迄の男子」が「殺戮」すべし目標とされている(独立混成第四旅団「自昭和十五・九・一至十五・九・十八 第一期晋中作戦戦闘詳報」、藤原彰、『天皇の軍隊と日中戦争』、99ページより孫引き、カタカナをひらがなにあらためた)。


煙さん、野良猫氏が「衆人環視の中で、懲りもせずインチキを繰り返す目的は何だろう」というご発言に対して私が「嘘も百回言えば…というやつですかね」とコメントしたところ「じゃあ百回暴露しますかね(笑)」とお返事いただきましたが、これまでの分もすべて加算すれば「百回」に達する日は目前じゃないでしょうか!




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