七平マジック

今度はここのコメント欄での、一知半解氏の発言より。

特に、笠原氏がP180〜182にかけて引用している鈴木特派員の証言は、山本七平が「私の中の日本軍(下)」のP308〜314において詳細な分析を加えており、信用するに値しないものであることを立証済みですが、それを有力な証言として取り扱っている点で、ダメだと思いました。

「鈴木特派員の証言」とは『丸』の1971年11月号「ワイド特集 知られざる重大事件史 日中戦争の全貌」に掲載された、鈴木二郎、「私はあの“南京の悲劇”を目撃した」を指します。問題になっているのは、「百人斬り」の第4報を浅海記者とともに発信した鈴木記者が南京城の中山門で捕虜の「大量虐殺」を目撃したことを証言している箇所です。
七平センセイは殺されてゆく捕虜たちが「あるものは、ニンマリとした笑いを浮かべ、あるものは、ときにケラケラと笑って“死の順番”を待っていた」という鈴木元記者の証言が信憑性に欠けるとして、つぎのような議論を展開します。

 だがさらにおかしいのは、二十五メートル幅で高さ十三メートル*1(と鈴木氏はこの文の少し前で書いている)の城壁上で、「城外に銃剣で月男とされている」人間が「ニンマリ」また「ケラケラ」とした笑いを浮かべているのが、城内から見えたという記述である。
 私は砲兵なので、すぐ俯仰角、高低角そして死角が念頭に来てしまうのだが、鈴木特派員が身長十三メートルならいざ知らず、普通の身長をしておられるなら、十三メートルの高さで、幅が二十五メートルの城壁上の前端に立つ身長百六十センチぐらいの人間の顔が見えるには、城壁から城内の方向へどれくらいはなれないと、「死角」に入って見えなくなってしまうかを、計算してご覧になればよい。(…)地形により多少の差はあっても、二百メートル以上はなれないと死角に入る。
(『私の中の日本軍 下』、文春文庫、310頁)

私は一読してこのインチキに失笑してしまいましたが、一知半解氏はなにがインチキなのか分からないんだそうです。さて、そもそも七平センセイが引用した鈴木氏の文章には、「城内から見えた」などという記述はありません。あるのは、城内にある旅館から「中山門に取って返した」という記述です。七平センセイは引用に際してこの「中山門に取って返した」に傍点を振っています。つまり城内から中山門へさして歩いてきたのだから、捕虜の大量殺害を目撃したのは城内からであった、と言いたいわけです。しかし城壁から城外へと捕虜が突き落とされるのを目撃した新聞記者が、門を出て城外からその事態を確認してみようと思わないものでしょうか? またこの種の回想において「門から城外に出て」といったことをわざわざ書かなかったとして、それが異常なことでしょうか? 素直に読めば、鈴木記者は刺殺されて城外に落とされてゆく捕虜たちを城外から(も)目撃したのです。この極めて合理的な解釈を無視して、わざわざ荒唐無稽な解釈をしてみせるのが七平マジックなのです。
実を言うと、この前後の七平センセイの鈴木証言批判は、すでに故洞富雄氏が「「山本七平氏の「史料批判」」として取り上げています(『決定版・南京大虐殺』、現代史出版会、268頁〜296頁)。上述の点も指摘されている他、殺害にあたった日本兵から聞いたはなしが記憶の中で目撃体験とごっちゃになった、というもう一つの(これまた合理的な)可能性も指摘しています。ここでは省略した「紅槍会」云々の問題についても、資料を提示しつつ反論しています。否定派の言うことを調べていくとたいていこうなんですね。とっくに反論済みのことをぬけぬけと持ち出してきているだけ、と。

*1:幅と高さが逆ではないかと思うが、ここでの論旨にはほとんど関係がないので確認は後日。なお逆だとして、鈴木氏が間違えているのか七平センセイが写し間違えているのかは現時点では不明。