14万人と7万人、30万人と…

アメリカには教科書検定がないので、広島への原爆投下がどのように教えられているかを一概に語ることは困難だが、立ち読みした(すんません)『アメリカの小学生が学ぶ歴史教科書』*1で紹介されている一冊は犠牲者数を7万人としている。『戦争の教え方』*2が紹介している一冊も「最も正しい推計で約七万人から八万人の間」としている(170頁)。
こうした数字はデタラメというわけでは必ずしもなく、即死者の数として合意の得られているものではある。また、教科書によっては(1945年中に亡くなった犠牲者の数として一般的な)14万人を挙げているものもある(英語版の Wikipedia ではまず14万という数字を挙げ、その後即死者の推定として7万を挙げている)。しかし核兵器の特殊性を考えれば45年中の14万というのは過少である、という議論は可能であるしまた有意義でもある。いろいろと考えられる数字のうちある教科書が7万をピックアップしたとすれば、そこにはアメリカ軍による加害を控えめに見せたいという欲求がはたらいていたと考えても無理はあるまい。日本の教科書が7万という数字だけを挙げ、14万という数字を紹介しない、ということは(ちゃんと調べていないけど)まずあり得まい。


このように、加害者の側と被害者の側で事件についての見方が異なることはよくあることで、南京事件の犠牲者数についてもそうした文脈から考えておくべき側面がある。被害を受けた側の言い分を鵜呑みにする必要はないけれども、被害者の側のパースペクティヴを無視して「30万」という数字だけにこだわり、それを「捏造」呼ばわりするのは真っ当な態度とは言えまい*3。南京軍事法廷に起源をもつ「30万」という数字には実証的な吟味に耐える根拠がないとしても、当時の様々な制約*4の範囲内でそれなりに検討された数字ではあったのだ。また当時徹底的な調査をしていたら、判決が定義する「南京事件」の時間的・空間的範囲での犠牲者数はより少なくなる一方、上海戦〜南京攻略戦全体での不法な殺害としてはより大きな数字が出た可能性は少なくないだろう。またしばしば「グレーゾーン」として議論の的になる「敗残兵」「便衣兵」の殺害にしても、自分の国が戦場になった側と他国で戦争をした側とではパースペクティヴがまったく異なる、ということを理解しておくべきだ(被爆の後遺症によって数年後に亡くなった人びとも原爆の犠牲者だ、と日本側が考えるのと同じように)。

*1:ジェームズ・M・バーダマン、村田薫編、ジャパンブック。

*2:別技篤彦、『戦争の教え方 世界の教科書にみる』朝日文庫。著者は日本の教科書における原爆の記述を「まるで他人事」と評している。分析の対象となる教科書が70年代から80年代初頭のものでデータとしてやや古いのだが、インドの教科書でも犠牲者数が過少評価されていることは興味深い。パール判事のおかげで、「大東亜戦争」肯定論者はどうもインドに幻想をもっているようだから、である。

*3: uchya_x さんの「30万人は捏造だろう、という説」を参照。

*4:そうした制約には日本軍に責任があるものも含まれている。