南京事件否定論と本質主義(実例)

このエントリで書いた仮説の裏づけとなる実例を一つ発見。

潜水艦 『>私のブログを読んでもらえればわかりますが、私は日本軍(人)が「本性」として残虐であったという主張を明確に否定していますよ。

そんなら話は早い。日本人が本来残虐ではないと考えているなら、南京大虐殺の時「だけ」あんなにやりたい放題になった矛盾点が出てくるのは解ってるよね?
虐殺があったと言いたい場合、そういうとこを補強しなきゃならん訳だよな。
で、現地の中国軍やらを比較してみる。そうすると国民党軍がやった同胞虐殺の「南京事件」やら、滅茶苦茶な抗日テロやら捕虜になった日本兵をなぶり殺しにして遺体を損壊する手口が頻発してた事も知ってるんですな。さすが博識だな。

この人物にとってなぜ「矛盾点」があるように見えるかといえば、それは彼が「この世界には本性として残虐な民族と、本性として平和的な民族がある。残虐行為を行なうのは前者のみだ」という人間観をもっているからに過ぎない。彼にとって「中国人=残虐/日本人=平和的」という対比が脳内で成立しているために、中国の抗日テロについては一切の論証抜きで「無茶苦茶」と形容することができてしまい、他方南京事件ア・プリオリに「なかった」ものとなるわけである。これに対して私は「人間は民族にかかわりなく、基本的に残虐行為をしない生物だ。しかしいくつかの条件がそろえば、非常に残虐なことをすることがある」と考えてるんですよ。で、南京事件のときにはその「条件」がそろっていた、と。