河村たかしメソッド

# 教えてください 『終戦直後の南京には武装解除された日本兵が各地から集められ、順次日本へ送り返されたそうです。
一時期は一万人以上の日本兵が一ヶ月間ほど滞在し、南京市内に限り自由に歩き回ることが許されていたそうです。
しかし、その間に南京市民による日本兵に対する暴行事件も殺人事件も起こらず、それどころか帰国する日本兵に食べ物や衣類をくれた親切な南京市民も少なからずいたそうです。
どうして南京市民はこんなに日本兵に優しくしてくれたのですか?』 (2006/08/16 06:04)
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20060809/p1#c

[630] 終戦直後の南京にて 投稿者:T.K 投稿日:2006/09/21(Thu) 21:18 [返信]

私の祖父がいた部隊(下士官が戦死していない20名ほどの小隊だったそうです)は終戦後に一旦南京に移され、2週間ほど南京で暮らしてから日本へ帰ってきたのですが、南京に到着してすぐに日本刀と拳銃と弾薬を国民党軍から返却され日本へ帰るまでの間の自分たちで衣食住の調達をするようにと国民党軍から命令されたそうです。
祖父たちは南京郊外に掘っ立て小屋を建て、農家の手伝いをして食べ物を分けてもらったり川で釣りをして食べ物確保し無事に帰国したそうです。


南京大虐殺の話を聞くたびに疑問に思うのですが、国民党が祖父たちに日本刀や拳銃やその拳銃の弾薬を返却した理由は何なのでしょうか?
http://homepage3.nifty.com/biogon_21/index.html


この論法を「河村たかしメソッド」と呼ぶことにしよう。

 歩兵第一〇一旅団指令部伍長であった私の亡父、河村■(金偏に心)男(かねお)は、昭和二〇年八月一六日に武装解除されていた南京に到着し、南京市郊外の棲霞寺に翌二一年の一月まで滞在、同年三月に帰国した。同寺には司令部の約二五〇人が滞在していたが、彼の地で大変手厚く遇され、生き永らえることが出来たと感謝していた。
 そこで、戦後五〇年となる一〇年前、当時の戦友たちは、当時の南京市民のもてなしへの感謝の気持ちとして、寄付金を募り、南京市に一千本の桜を寄付し、体調の悪い父に代わり母が訪中した。その母も昨年一〇月亡くなった。
 彼の地において大虐殺が行われていたのであれば、そのわずか八年後にこのような心温まる交流が実在しえるとは思えない。そこで、いわゆる南京大虐殺事件について再検証すべきではないかと思うに至った。
(後略)
http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a164335.htm


河村たかしメソッド」によれば、北朝鮮による拉致事件などなかったことになるようだ(朝鮮総連メンバーが拉致され行方不明になったという事件が発生していないことから判断して)。他方、旧日本軍は旧ソ連領で相当規模の戦争犯罪を犯したようである(シベリア抑留から判断して)。殺人事件の被害者遺族が裁判を傍聴する…というのはよく聞くはなしであるが、裁判所で被告を殺したという遺族のはなしは聞いたことがない。ということは、大抵の殺人事件はマボロシなのだろうか。