馬渕直城、『わたしが見たポル・ポト キリングフィールズを駆けぬけた青春』、集英社
今どき、クメール・ルージュへの共感をこれほど明確にした本が出る、というのはかえって新鮮。といっても、本書のベトナムに関する記述からもわかるように、「革命」ではなく「クメール(人)」への思い入れが著者の原動力であるようだ。たしかに、善玉・悪玉がはっきりしない長年の紛争のなかで、一番の悪玉とされてきたのがクメール・ルージュだから、実態以上に負のイメージが増殖しているという側面はあろう*1。「キリングフィールド」という語はルワンダやダルフールで起きたような虐殺をイメージさせるけれども、ポル・ポト政権下での惨事は様相を異にしているのはたしかである*2。とはいえ、虐殺があったとする通説に対する著者の控えめな異議申し立てはやはり説得的なものではない。『私が見たポル・ポト』というのは看板に偽りなく、ポル・ポトに二度のインタビューを行なってはいるのだが、やはり著者の視点はカメラマンのそれであって、そのことを念頭においておく限りでは、カンボジア情勢の興味深い一断面を伝えている、とは言えるだろう。
危険な戦場で密着取材をするには取材対象への強い思い入れが必要なのかもしれないが、ポル・ポトに「第一兄同志」と呼びかけ(最初の会見時)、シアヌークと会った際には足下にひれ伏して「父王さま、日本人は父王さまを敬愛しております」と言ってしまう感覚は、容易に共鳴できるものではない。83年に従軍取材をした際、タ・モックにビールを勧められると途端に幻滅してしまう(ほかにも理由はあるのだが)あたりも、思い入れの強さの裏返しだろうか。しかし、当然ながらそれが強い違和感を感じさせることもある。2001年に日本のテレビ局の依頼で「地雷の犠牲になり、身体に障害を負った女の子」を捜し、(徐々に犠牲者が減っていたため)なかなか見つからないでいる時、赤十字から派遣された義足技師に「取材なら赤十字の許可を取ってもらわないと困る」と言われ、「官僚主義そのもの」と怒っているのであるが、わざわざ「女の子」の犠牲者を捜せという依頼のあざとさや、プライバシーに関わる事柄を取材しているのだということへの自覚があるとは思えない。
参考:『ポル・ポト<革命>史』