秦郁彦による旧軍の餓死者推定

1991年の『正論』が初出の記事(『昭和史の謎を追う』、下巻271頁)で秦郁彦は「二〇〇万を越える戦没者の七割前後が広義の飢餓によって倒れたとする試算もあるくらいだが、実数は確かめようもない」と書いていたのに対し、昨年10月のSankei Web【正論】では「ガダルカナルニューギニア、レイテ、インパール戦など戦陣に倒れた約230万の兵士のうち、広義の餓死者は私の試算で60万に達する」と書いていたこと、後者の推定が昨年の『軍事史学』第166号掲載の論文における「南方戦域が六〇%(四八万人)、全戦場では三七%(六二万人)ぐらいが妥当」という結論を指しているのだろう、ということについては以前に述べた
『現代史の争点』に収められた秦郁彦と加登川幸太郎の対談は1996年の『諸君!』が初出だが、ここでは秦は次のように言っている。

 登川 南方の戦線で亡くなった方の大部分は餓死だったと考えていいと思います。兵隊が弾にあたって死んだのなら仕方がないが、食料がなくなって飢え死にしたというのは全く救いがない。ご遺族の方だって絶対納得できないはずです。ガダルカナルインパール、レイテ、間違いなく餓死の戦争です。
  ニューギニアもありますね。
 登川 そうです。餓死した人はおそらく全体では数十万とという単位になるのではないか。私が知っている限りでも、東部ニューギニアの第十八軍が十数万、フィリピンが三十万くらいガダルカナルでも二万の兵士が「餓死」している。
  私も餓死者の数を概算してみたことがあります。大東亜戦争での戦死者の数は、中国大陸の戦場を除くと約百五十万です。そのうち約七割が餓死、あるいは栄養失調の結果、病気を併発するという形で亡くなったと推測されます。七割という数字は、ガダルカナル戦の統計資料を基準にして他の戦場について、ここはそれを下回る、あるいは上回るという形で計算したのですが、おおよそ七割が広い意味の餓死者と推定できます。百五十万の七割というと百万を越える。だから加登川さんがおっしゃる数十万でも少ないくらいかもしれない。
 登川 僕がいたレイテの戦場だって、半分以上が餓死で亡くなった。
  これだけ大規模な餓死者を出したのは日本の過去の戦争はもちろん、おそらく世界でも例をみないでしょうね。

もともと類推による推定であるうえ「餓死」の定義もファジーであるから、数字よりは「内外の戦史に類を見ない高比率」であるということの認識が重要、ではある。それにしても10年間の間に餓死者推定が約半分に下方修正されていることになる。
ところで「南方戦域が六〇%(四八万人)、全戦場では三七%(六二万人)」という数字から逆算してみると、全戦場での死者が約170万人にしかならない…。やはり『軍事史学』掲載の論文にあたってみる必要がありそうだ。