成り立たないかどうか、ためしてみようじゃありませんか

池田信夫 blog 「なぜインターネットはナショナリズムを強化するのか」のコメント欄。


フェミニズムステロタイプ (池田信夫)

2007-04-09 15:01:56

ここで書いた「カルスタ=ポスコロ=フェミニズム的言説」の典型が、当ブログの記事(4/7)についての某ブログの記事にちょうどあったので、引用しておきます:

<(氏名から判断する限り)男性である池田氏がここで自分を含む日本人を「妻」になぞられていることは、なかなか興味深い。要するに女性性と受動性を「自然」に結びつけてしまう発想の現われなのだろうけれど、こういうところに無自覚であることと彼らの慰安婦問題に関する主張が欧米社会で受け入れられないこととは、もちろん無関係ではない。>


見事なステロタイプですね。私の記事で、主語を夫にしたらエピソードとして成り立たないことは無視して(あるいは理解できないで)、女性を比喩にしているところだけをとらえて「女性を差別している」と断じる。そして「欧米社会で受け入れられる」ことが無条件に正義だと信じている。


厄介なのは、こういう連中がまったくのバカではないことです。東大の駒場などでは、こういうのが主流で、その弟子もこういうふうに「脱構築」の口真似で論文を書いて増殖する。そして英文で発表されるのは、そういう論文ばかりだから、「欧米社会」での日本のイメージがますます歪む・・・という悪循環が進むのです。

いうまでもなく、私のこのエントリからの引用です。池田氏著作権法が要求する引用にあたってのルールを守る気はないようですが。駒場には足も踏み入れたことないしカルスタの悪口はけっこう書いたけどなぁ(本館で)…というのはおいといて。試してみようじゃありませんか。


それはたとえてみれば、こんな光景だろうか:結婚して60年以上、ひたすら妻に仕えてきた夫が、あるとき妻の日記を読むと、初恋の人への断ち切れぬ思いがつづられ、「どうしても夫が好きになれない」と書かれていた・・・


こう書き換えると「エピソードとして成り立たない」んだそうです。「無視」したんじゃなくて「理解できない」ですよ、マジで。でもまあ、池田氏のブログのコメント欄では「その通り、性別を入れ替えると成り立たない!」と考えるひとばかりがコメントするんでしょうね(そうでないコメントはどうせ消されちゃうわけだし)。
もう一つ、念のために言っておくと、問題の私のエントリは「正義」などという水準で議論しているわけでは(恥ずかしながら)ないので、「「欧米社会で受け入れられる」ことが無条件に正義だと信じている」などというのも的外れです。相手の問題意識を理解できずにピントのはずれた反論を必死こいてやっているうちに自分のアジに煽られて熱くなっているのが滑稽だ、というはなしですから。