5月25日の衆院外務委員会における南京事件論

ようやく議事録が公開されたので。

○松原委員 (前略)
 次に、日中関係の問題を幾つか議論していきたいと思うわけでありますが、先般、中華人民共和国の国務総理、温家宝さんが日本に訪日をなさったわけであります。このときに、有識者、学者の方々から「温家宝国務総理閣下への公開質問状」というものが提出をされたわけであります。ちょうどこの訪問の前にこれが提出をされたわけであります。
 事実関係を若干申し上げるならば、実は、これに先立ちまして、与党、野党の国会議員がおよそ三十名ぐらい三回の勉強会を行いました。きょうこの場に参加している方はちょっとわかりませんけれども、その三回の三十人の方が参加をした勉強会において何を勉強したかというと、南京の大虐殺と中国側が言われる事実が、これが事実と違う、実際それはなかったということを、私たちは、さまざまな観点、さまざまな文書また写真、そういったものを中心にしてこのことを解明したわけであります。
 できるならば、私は、これは温家宝さんが訪日をするある程度前の段階に、きちっとこういったものに対して、もちろん訪日はそれはそれでめでたいことだし、日中の友好関係は友好関係でそれは尊重しなければいけない。しかし、中国がその一方において、北京オリンピックを前にして、今、例えば抗日記念館を拡充したり、南京のこの記述、南京大虐殺、我々からいえば事実はそうではなかったわけでありますが、そういった教科書のページ数もふやしているということに対しては、きちっと、日本国内においても問題視する議論がある、与野党の国会議員が三十名集まって勉強会もしているということも、これを踏まえて何らかの行動を起こしたいという思いもありましたが、実際は時間的な制約もあって、なかなかそこまでいかなかったわけであります。
 そうした中で、国会議員の我々はそこに参加をしないということで、とりあえず、学者の方々だけで「温家宝国務総理閣下への公開質問状」というのを出したというのがこの文書の経緯でありまして、内容的なものに関して、この文書を三十人の国会議員がみんな精査して合意したということではありません。しかし、これをつくるに至った経緯の三回の勉強会には、三十人の国会議員がまじめに、かなり熱心な議論をしてきたのは事実であります。そうした背景を持って、こういった公開質問状が出されました。
 外務省としては、こういった公開質問状が出されたということを認識しておられますか。
佐渡島政府参考人 お答え申し上げます。
 私ども、少なくとも、四月の十日付のそういう質問状をお出しになっておられるということは承知をしております。
○松原委員 こういったものが出されたということを麻生大臣は報告は受けておられますか。
○麻生国務大臣 三十名の中の何人かの方はよく知っておりますので。

まあこのあたりまでは自己PRですな。「南京の大虐殺と中国側が言われる事実が、これが事実と違う、実際それはなかった」というのが松原センセたちの主張ですか。しかしこういう論法をつかっていると、たとえば北朝鮮による拉致についての日本側の主張になにかしら事実に反することがあったということがのちに明らかになった場合(あの遺骨のDNA鑑定とか、大丈夫ですかね?)、「日本側が言う拉致問題はなかった」と北朝鮮が公言するのを許容しなけりゃならなくなるわけですが、それでいいわけ?

○松原委員 よく知っているということは、こういったものが出された経緯も知っているということでよろしゅうございますね。
 それでは、六つの項目がこの公開質問状の中に書かれているわけでありますが、このことに対して、これは温家宝さんに対しての質問ですから、麻生大臣に質問しても、これは質問先が違うのはよくわかっております。わかっている中で私はこの場で発言をするわけでありますが、一つは、この中で書いてある、毛沢東が南京戦に触れているのは、南京戦の半年後の延安で講義された「持久戦論」にまとめられた、その中で、日本軍は包囲は多いがせん滅が少ないと。これは、前後の文脈を、私は中国語を読めませんが、話を聞きますと、何で日本はせん滅をしないんだ、我々だったらせん滅するのにというニュアンスで、日本軍は包囲戦はするがせん滅はしないと。せん滅をしないということは、いわゆる虐殺等をしないというのが日本軍で、恐らく私は、当時の毛沢東さんが延安でこれを言ったときの状況を考えると、彼らは国民党軍とドンパチやっている最中でありますから、日本軍が国民党軍をそのように完膚なきまでにせん滅をするならば、それはメリットがあるというニュアンスもあったのかもしれない。これは憶測ですからわかりません。
 このことについてどうお考えになりますかというのは、これは温家宝さんに対しての質問状で、藤岡さんその他の学者の方々が出している。温家宝さんではないんですが、麻生大臣はどう思われるか、これをまず一つお伺いしたい。

松原センセイの考えでは「せん滅=虐殺等」なんだそうです。私の理解では「せん滅」はあくまで軍事的な概念で、敵の兵力をせん滅したら直ちに虐殺である…などとはサヨクの私ですら思いませんが、松原センセイは極めつけのヒューマニストであるようです。
さて、日中戦争初期の日本軍はたしかに国民党軍の「せん滅」に失敗してますが、それは別にせん滅を目指さなかった、ということを意味しません。徐州作戦だって包囲せん滅を狙って果たせなかった、というのが実態ですし。南京をイペリット焼夷弾で廃墟にする、という計画を立てるような軍隊が「せん滅」を狙わないわけがないじゃないですか!

○岩屋副大臣 今先生おっしゃった毛沢東の「持久戦論」でございますが、一九三八年五月、その中で、当時の日本軍が犯してきた過ちの一つとして、包囲は多いがせん滅は少ないということを挙げているということを承知しております。しかし、毛沢東氏がいかなる情勢認識のもとで包囲は多いがせん滅は少ないというふうに言ったのかについては、必ずしも定かではございません。
 これは南京事件に関係することだと思いますが、いずれにしても、南京事件については、事実関係をめぐってさまざまな議論が存在しているわけでございまして、政府として一概にコメントすることは適当でないと思っております。

ま、これはいかにも、という感じの政府答弁ですな。

○松原委員 これは、毛沢東がこの南京の実態をどこまで知っていたのかということもあるかもしれませんが、仮に何十万もの虐殺があれば、それは必ず触れるだろうと私は思っております。

毛沢東がこの南京の実態をどこまで知っていたのかということもあるかもしれませんが」と留保をつけながら、「仮に何十万もの虐殺があれば、それは必ず触れるだろう」と主張するのは支離滅裂、と言うべきです。「仮に何十万もの虐殺が」あってもそれをそのまま毛沢東が(38年5月の時点で)認識していたとはむしろ考えにくいわけですから。

 二つ目の、これが一番の肝の一つになるわけでありますが、一九三七年十一月に、国共合作下の国民党は中央宣伝部に国際宣伝処を設置した。国際宣伝処の極秘文書「中央宣伝部国際宣伝処工作概要」によると、ここには、この後でも書いてありますが、ティンパーリが「戦争とは何か」という書物を出して、これが南京大虐殺と言われるものの一番先端になった事件であります。この「戦争とは何か」というのを南京の近くで出さないで、アメリカで出したというあたりが極めて意図的でありまして、簡単に言うと、現場で出せば、それはうそだよとみんなわかってしまう、うそであることが確認できないような海を渡った向こうで出せばうそだとわからないというのは、これは情報戦の当然のやり方だと思うので、ティンパーリはそうしたんだろうと私は思いますが、これも憶測であります。

馬鹿じゃないの? 国民党でもいいしティンパリーでもいいけど、いったいどうすればこの当時「南京の近く」で日本軍に不利な内容を含む書物を出版できるわけ? 為にする議論の典型ですな。「憶測」というより妄想でしょう。
なお、「南京の近く」というのが中国国内ということを意味するのなら、『戦争とは何か』の中国語版はもちろん中国国内で出版されています。

 私が申し上げたいのは、少なくとも、この南京戦を挟む一九三七年の十二月一日から三八年、翌年の十月二十四日、三百回、毎日のように記者会見をやった。参加した外国人記者、外国公館職員は平均三十五名。何を言ったかというと、日本軍はけしからぬと。これは毛沢東とは違う、国民党の立場ですから、けしからぬ、こんなことをやった、あんなことをやったと針小棒大に、けしからぬ、けしからぬと国際社会に対してのアピールを、だから、例えば外国人記者ですよ、外国人の皆さん、日本軍はこんなひどいことをやっているんだ、だから国際世論で日本はけしからぬと言ってください、外国公館の職員に対して、こんなことをやっているから言ってくれと、南京は十二月ですから、ちょうどその前後から翌年の十月二十四日まで三百回、細かいことまで彼らは言っている。
 にもかかわらず、そこで一回も南京で虐殺があったと言っていない。極めて不思議であります。簡単に言えば、なかったから言わなかったのであります。また、そこで言ってしまうと、南京近郊での記者会見でありますから、うそだというのが一瞬にしてばれてしまう。ニューヨークか何かで記者会見をやっていればそれは言えるだろうけれども、しかし、うそだというのがばれてしまうから言わなかったんだろうと考えるのが普通なんであります。

1937年12月1日から38年12月24日まで、「南京近郊」で国民党が記者会見を続けたんですか!? これはすごい。新事実です! 一体日本軍の目をどうやってかいくぐったんでしょうか。…まさか武漢を「南京近郊」って言ってるわけじゃないですよね?
まあ先の「憶測」といい、欧米人の情報処理能力を恐ろしく見くびった(厳密に言えば、当時の中国人が欧米人ジャーナリストや外交官をアホ扱いしていた、ということを前提とする)議論ですな。「拉致問題マボロシ説」なんてものが将来生まれたら利用されるであろう論法だ、というのもまた明らか。素人ならともかく、国会議員が「事実なら言及したはず、言及しなかったなら事実じゃない」なんて直球一直線な発想を本気でしているのだとすると、ちょっと空恐ろしくなります。
それからこの「300回の記者会見」論だけど、根拠となる資料とともに主張されているのをみたことがただの一度もない。「南京近郊」云々も伝言ゲームによる劣化じゃないのかなぁ。

 そのことで、この公開質問状では、この中で、南京の市民虐殺があった、もしくは捕虜の不法殺害があったというのは一切述べていない、本当に虐殺が行われたなら、これは極めて不可解であろうと思うが、温家宝さん、どう思いますか、こういう質問であります。
 さっき岩屋さんが答えたから、こっちは麻生さんが答えてください。大臣、お願いします。極めて大事なところです。

と、ここで麻生外相にフリます。

○麻生国務大臣 松原先生より私の方が年を食っていますので、それらの話というのは、やはりいろいろな長い事件に、宣伝戦というのは戦争を遂行する中に当たって大きな要素を占めるのは事実です。そのとき一緒につくられた言葉がプア・チャイナという言葉です。かわいそうな中国というのが、ルーズベルトからトルーマンにかけて圧倒的にアメリカで広まったのは、日本人はだめ、中国人はかわいそう、プア・チャイナという言葉がうわっと広まる、これはPR部隊の大成功の一つだったと思います。
 そういった意味では、宣伝戦が行われたことはもう間違いない。しかし、それは当然なのであって、しない方がおかしいぐらい、そういったものだとまず基本的に認識をされておかないかぬと思っております。

ここまではまあ、いいでしょう。次あたりから雲行きがおかしくなります。

 次に、今南京の話が出ましたけれども、これは、南京開城をやったときには、少なくとも無血開城ということになりましたが、早い話が、武器を取り上げないで、そのまま武器を手渡して開城していますから、結果として、そこに、便衣隊というんですが、便衣隊というのは今通じる言葉じゃありませんな、今はゲリラですか、ゲリラというのが大量に残った。したがって、それは着ている服装が一般人と全く見分けがつかないということになりますので、それらの人が、ある日、鉄砲で撃たれることに、軍服を着ているわけじゃありませんから、そこでそういったことが起き得る、しかし、その中には民間人もいたかもしらぬということになり得る、それはもう事実としてあったろうと存じます。私もその現場にいたわけではありませんから、想像の域を出ない。

南京が「無血開城」だったなどというのは初耳です! これまた新事実ですか!? 衆院の外務委員会というのは全く侮れません。現代史家や現代史に関心をもつ人間にとっては宝の山ですな。南京は無血開城され、国民党は南京陥落後も南京「近郊」で記者会見を続けていた! とてつもなく勉強になりました。

 ただ、現実問題として、三十万人という数字は、大きさでいえば、当時の南京というのは今の世田谷区ぐらいの話ですから、世田谷区で三十万人の人が死ねば、それは大概そこにいた人は死なないはずはないと思いますが、そういったことは少々おかしいのではないかという事実というものは、いろいろ言われておるのは、もう私どもも、この六十年間にわたっての話題ですから、決して知らないわけではありません。
(中略)

面積のはなしと人口のはなしとがごちゃごちゃになっていて「大丈夫か、おっさん?」と言いたくなります。世田谷区の人口は80万人を超えているので「世田谷区で三十万人の人が死ねば、それは大概そこにいた人は死なないはずはない」なんてことにはなりませんな。

○松原委員 この質問の趣旨は、三百回のまさに宣伝戦、プア・チャイナ、貧しい中国ということを彼らは成功した。その宣伝戦をやっている、そのときに、南京において多少でも、私に言わせると、多少でも虐殺があれば触れないはずがないんですよ。針小棒大に触れるに決まっているんですよ。一行も南京で市民虐殺があったということを言っていない。三十万とかというロットじゃありません。三百回の外国人記者、外国公館職員の記者会見で一回も言っていない。南京大虐殺があったそのときも含めて。五人殺された、十人の市民虐殺があったと言っていないんですよ、そういうロットまで。三十万なんという話じゃないんですよ。
 私は、これはどういうことかと。やはり、それは言えない、いや、事実がなかった、三十万なんという話じゃないし、三万という話でもないし、三千という話でもない。なかったんですよ。そういうふうに解釈するのが当たり前だということであります。

「ロット」という言葉遣いが示す松原センセイの人権感覚については、すでにあちこちで指摘されていましたからもはや繰り返しますまい。
仮に南京における日本軍の暴虐が全く世に知られていなかったのだとすると、対日戦を遂行するための戦時プロパガンダとしての意味をもつ記者会見において言及しない、というのは不可解である、と言ってよいでしょう。当時彼らが把握していた範囲の情報を提供するのが普通だろう、と。ところが実際には、南京での市民虐殺や捕虜殺害はほぼリアルタイムで報道されてるわけですね、欧米メディアによって。南京を追われた国民党にとってむしろこうした報道が重要な情報源になっていたくらいで。戸井田とおるセンセイが新発見だとはしゃいでいた(しかし実は2001年に邦訳もされていた)国際連盟での顧維鈞の演説が、南京での日本軍の暴虐について語る際『ニューヨーク・タイムズ』『ロンドン・タイムズ』ほかを援用していたのがよい証拠になります。
ところで、「事実がなかった」から言及しなかったんだ、「そういうふうに解釈するのが当たり前だ」ということになると、中国代表が国際連盟という場で南京での虐殺に言及している…という事実は一体どういう風に説明されるんでしょうか?

 大臣にこれをもう一回聞いたところで、そういうふうな質問があったんですかぐらいで終わってしまうと思うんですが、しかし私は、このことをきちっと、三十万と言わなくなったからいいという議論じゃない。大虐殺があったなら、何でこのとき言わなかったんだと。言えなかった、なかったから。そして、大虐殺を触れたのは、ニューヨークか何か海外の出版で、英語の本で触れ始める。これはもう極めて戦略的な話であります。ということは極めて不自然であるということは御認識をいただけると思うんですが、不自然だという御認識をおっしゃっていただければ結構です。それだけで結構です。

「大虐殺があったなら、何でこのとき言わなかったんだ」、と。この論法、いろいろ使い道がありそうですなぁ…。事件発生直後に全貌が明らかになるような極めて特殊な事件以外なら、なんにでも使えそうです。
またくどいようですが、南京での虐殺はほぼリアルタイムで報道された(もちろん、限られた取材陣による限られたカヴァーでしかありませんでしたが)のであって、「ニューヨークか何か海外の出版で、英語の本で」はじめて問題になったわけじゃない。まあ最近流行の「ティンパリーは国民党の手先」説なんでしょう。

○麻生国務大臣 それも、その三百回の現場の状況を、伝聞情報というのは基本的には余り当てにならぬものだと。人が後々、あのときこうだった、ああだったと言って、いわゆる伝聞情報というのは余り当てにならぬので、そのとき報道されていた事実、その当時、一九三八年、三七年にどういうものが報道されていたかという資料の方がよほど説得力のあるものだと思いますが、今おっしゃられたそれらのことごとは情報として極めて重大なものだと理解しております。
○松原委員 不自然であるということを理解していただきたい。
 これは、おっしゃるけれども、それは外国人記者と専門家が相手ですから、そのときの記録が全部あれば、なかったということは、これは一般の人が聞くのと違います。

麻生外相の答弁は意味がつかみにくいのですが、松原センセイにしてみると満足のゆく答弁を得られたとは思っていないようで。そこから逆算すると、「300回の記者会見で言及がなかった、というはなしは余り当てにならぬもので、その当時どのような報道が実際なされてていたかの方が重要」という趣旨の答弁だった、と。少なくとも松原センセイはそう理解した、ということのようです。

 三つ目。南京安全区。御案内のとおり、安全区を設定しました。これは、当時の宣教師なんかが頑張ってやった。私、何回も外務委員会で質問しております。この問題に関して、「ドキュメンツ・オブ・ザ・ナンキン・セーフティー・ゾーン」として、国民政府国際問題研究所によって、一九三九年、戦前に上海から出版されている。このデータだと、南京の人口は日本軍占領直前二十万、その後も二十万、占領一カ月後は二十五万、こういうふうなデータが、一九三九年の「ドキュメンツ・オブ・ザ・ナンキン・セーフティー・ゾーン」、国民政府国際問題研究所のデータであるということであります。
 これを見ると、日本軍の占領直前に二十万。直前です。占領の前が二十万、その後二十万、占領一カ月後二十五万。大虐殺があったらこういうことはあり得ないし、小さな虐殺があっても厳しいんじゃないかな、私はこう思うんでありますが、このデータに関して御所見はいかがでしょうか。
    〔委員長退席、小野寺委員長代理着席〕
○岩屋副大臣 今先生がおっしゃった「ドキュメンツ・オブ・ザ・ナンキン・セーフティー・ゾーン」に関する分析なども含めて、この事実関係についてはさまざまな議論が存在しているというふうに私どもは承知をしております。
 ただ、先ほど大臣がお答えになられましたように、当時の状況下で何かしらの殺りく、略奪があったということは否定できないのではないかというふうに考えているところでございます。

副大臣は従来の政府見解に依拠してテキトーにあしらった、という感じですね。ここで言われてる「人口」というのがあくまで安全区に集まった難民の推定数だということは、もう口が酸っぱくなるほど言ってきたわけですが、それは別として否定派が「占領一カ月後は二十五万」って数字を得々と出してくる神経がよくわからないんですよね。5万人がどこからともなく湧いて出てくるはずはないんで、「当初の二十万という推定が間違っていた」とか「安全区以外はほぼ無人、という推定が間違っていた」とか、必ず原因があるはずなんですよ。否定論というのが首尾一貫した一つの歴史認識ではなく、アドホックな否認の寄せ集めであることがよくわかります。

○松原委員 副大臣のそういう答弁というのは極めて危ないと思うんですね。それは、そういうのはあったということで、こちらがあったと認めようとしている。
 実際は、今言ったように、三百回の記者会見でもなかったし、逆に人数が減ったというのは、これは後づけの資料ではなくて一九三九年の資料ですから、こういった明示的なもので、逆に人数が十万人になっていましたとかいうふうなデータが本当にあるのかと。ないんですよ。これしかないんですよ。それは、これが専門の行政だったから。南京の方の、専門のそういう機関だったから。
 ほかに減ったというデータがなくて、減っていないというデータしかないということは、これはやはりきちっと押さえるべきであって、私は、こういったことを考えると、三十万人という数値を中国が言ってこないなんというのは当たり前であって、一万人も千人も百人も含めて、つまり、極端なことを言えば、南京市民の虐殺が五人でもあったら宣伝をしたと私は思う。それすら言われていないという状況は、極めて、こういった中国が喧伝するところの南京における虐殺と違った状況があったということは当然であって、これはそのことを、国益を考えるならば、きちっと主張していかなければいけないと私は思います。

ここで言うところの人口というのは国際安全…もういいや。ともあれ、国際安全区委員会の残したデータのうち、安全区の人口に関するものは無批判に受けいれるくせに、日本軍による被害を記録したものはそっくり否認しようというのだから、いい根性をしています。

 これは大臣にお伺いする、副大臣にお伺いするでもいいんですが、佐渡島さん、そこにいますから、事務方でずっとやってきて、こういうことは中国側にきちっと主張しているかどうか、お伺いしたい。事務レベルで。
佐渡島政府参考人 お答え申し上げます。
 今、数の御議論につきましては、私、つまびらかではございませんけれども、私どもも、例えば南京の記念館、ただいま改装中ということで、修理中、何か閉鎖になっておるやに聞き及んでおりますけれども、常々どういうものがあるかというふうなことは注目をしておりまして、その中で我々としておかしいと思うものにつきましては、折に触れて議論をしてきております。
○松原委員 例えば、具体的に、この国民政府国際問題研究所の数値で、占領前二十万、その後ずっと二十万、占領後二十五万、こういったことは指摘しましたか。
佐渡島政府参考人 大変申しわけございませんが、手元の資料で、それをやった、あるいはしなかった、そのいずれについても、私、今手元で確認することはできません。

自己愛の慰撫が目的ならともかく、一国の政府が実証的に史実を観直す…というのであれば都合のいい数字だけをつまみ食いするわけにはいきませんし、政府が保有していてまだ公開してない資料もまとめて公開せざるを得ないでしょうからねぇ。

(…)
 次に、たくさんあるわけでありますが、慰安婦問題も大分今言われている。慰安婦問題、前にも私、この外務委員会で申し上げましたが、作曲家のすぎやまさんという方がアメリカの新聞二社に、ワシントン・ポストとそれからニューヨーク・タイムズにある広告を出そうとして、これは失敗というか、それは受け取ってもらえなかった。
 その内容は何かというと、この南京の三十万が、今言ったようにいかに誤謬性があるかというふうなことも含めて主張し、また、アイリス・チャンの「レイプ・オブ・南京」の中で使われている写真がインチキであるということが明らかであります。そういったことを、この資料は今皆さんお持ちでないのかもしれない、これを明らかにしようとしたわけであります。
 有名な話でありますが、五十万部を超えるベストセラーとなったアイリス・チャンの「ザ・レイプ・オブ・南京」、一九九七年十二月アメリカで出版の表紙となり、日本でも毎日新聞が一九八三年八月十六日付で、南京大虐殺は事実だ、証拠写真を元日本兵が撮影したと掲載したものがある。これは、従軍兵士だった村瀬守保さんが撮影した。
 ところが、掲載された写真はいずれもトリミング、一部カットされていた。これをもとに、中国と戦闘した南京戦従軍将校の高橋義彦氏は云々と書いてある。
 さらに、「レイプ・オブ・南京」で慰安婦強制連行の写真、これをすぎやまさんは新聞に掲載しようとしたわけであります。あの有名な写真であります。だらだら橋を渡っていくような写真。大体見たことは何回か皆さんあると思いますが。この写真に関して「レイプ・オブ・南京」の英文キャプションは、日本軍は何千という女たちを家畜のように追い立て、彼女たちの多くは集団強姦され、軍用売春を強制されたと「レイプ・オブ・南京」のキャプションになっている。いいですか、何千人という女たちを日本軍は家畜のように追い立て、彼女たちの多くは集団強姦されるか軍用売春を強制された。
 ところが、この写真は、麻生大臣も釈迦に説法で何回もこの話を聞いている、知っていると思いますが、南京事件の起きる前に撮られた写真なんですね。しかも、日本で発行されていた週刊誌アサヒグラフ、一九三七年十一月十日のアサヒグラフに載った写真なんです。何て載っていたか。これは「我が兵士に守られて野良仕事より部落へかえる日の丸部落の女子供の群」。写真はみんな女性は笑っているんですよ。そのままこれを使ってはあんばいが悪いから、アイリス・チャンはそこを黒く塗ったんです、歯のところを。同じ写真なんです。

まず「我が兵士に守られて野良仕事より部落へかえる日の丸部落の女子供の群」というプロパガンダ写真(そう、日本軍によっても「宣伝戦が行われたことはもう間違いない。しかし、それは当然なのであって、しない方がおかしいぐらい、そういったものだとまず基本的に認識をされておかないかぬ」わけです)がまわり回ってアイリス・チャンの本で誤用されたのは事実だが、「アイリス・チャンはそこを黒く塗った」という主張はまた次元が異なる。だいたいこの写真を「誤用」したのはチャンがはじめてではなく、むしろ長らく誤用されてきたものが無批判にそのまま踏襲されたに過ぎない。「アイリス・チャンはそこを黒く塗った」とする証拠はあるのか?
もう一つ、The Rape of Nankingに収録された村瀬守保氏撮影の写真を『新版 私の従軍中国戦線』所収のそれと比較すると、なるほど「トリミング」はあるが、だからといってどうということはない。背景の風景をカットして遺体をより焦点化するトリミングが行なわれているだけのことである。

 それが、聞くところによると、最近撤去された。さすがにやばいと思ったんでしょう。南京大虐殺記念館から撤去されたというけれども、正面にそれがでかでかと飾ってあったというふうな話であります。
 こういうことを、麻生大臣、御認識しておられましたか。
○麻生国務大臣 かなり詳しく知っていました。
○松原委員 詳しく知っていたと。まさに抗議をせんという強い鉄のような意思はありましたでしょうか。
○麻生国務大臣 これは基本的には、事実関係というものを、先ほど申し上げましたように、伝聞情報によって当時の情況証拠をつくり出すのには基本的には無理がある。したがって、当時書かれた事実のみだけで話をしないと、その当時の話を聞いた人の話をまた聞いてなんというのでは、我々はその現場にいたこともなければその世代の感覚もない。したがって、後年の人の言う場合は、その当時出た新聞、その当時出た紀要、その当時出た記録等々のものをもとにしてやらないと、この種の話は、議論としては極めて感情的にあおられるだけのものになり得る。
 これはずっと私、二十五年ぐらい同じことしか言っていないんですが、そういうことを言ってきておりますので、その資料の収集の方にもっと力を注いだ方がいいのではないか、伝聞情報ではなくて、ということを思っております。

この答弁もいろんな解釈を許す、あいまいなものである。「その資料の収集の方にもっと力を注いだ方がいい」というのは一般論としては反対のしようがないもので、文句があるとしたら「じゃあ、日本政府が予算を付けてちゃんと収集・公開しなさいよ」ということになる。つい最近も第101師団長の陣中日記が公刊されたばかりなのであって、今からでも捜せばまだ私蔵されている陣中日誌がいくつかはあるだろう。上海派遣軍法務部の記録とか、憲兵隊の記録、『南京戦史資料集』に収められていない(つまり見つかっていない)戦闘詳報などもぜひ捜していただきたいものである。
他方で、刑事事件ならぬ歴史的出来事の再構成に際して、「伝聞」をことごとく排除してゆくならば結果は「資料が足りなくてよくわかりません」ということになりかねない。オーラル・ヒストリーの価値を否定し公文書の世界に閉じこもることで不可知論に逃げ込もうとする戦略…と見えなくもない。

○松原委員 伝聞情報ではなくて、これは実際その写真が日本のアサヒグラフでそう使われていた、それをアイリス・チャンが五十万部のベストセラーで、あれで南京大虐殺は世界じゅうに定着をした。その書物の一番のでかい写真として、その写真を使っている。実態は違う。日本のアサヒグラフが一九三七年にこれから強姦される女どもと使うはずがないし、そう使っていないんですよ。日の丸挺身隊どうのこうので一緒に野良仕事、後ろには綿を山のように積んだ荷車が写っているんですよ、アサヒグラフには。そこをカットしているんですよ、アイリス・チャンは。
 そして、笑っているんですよ、女性はみんな。笑っているところを黒く塗って、これから強姦される写真だと。こんなわかりやすいインチキ写真。本当はアサヒグラフが訴えなきゃいけないんだけれども、わかっていても訴えないというのはどういうことかよくわからないけれども。これは大問題だ。

私がもっているThe Rape of Nankingはペーパー・バック版だから、それ以外のエディションで写真がどう扱われていたか、あるいは本の宣伝の過程で写真がどう扱われていたか、については把握していない。しかし現在一般に入手可能なエディションに関する限り、問題の写真が「その書物の一番のでかい写真」だというのは事実に反するし、また黒く塗ろうが塗るまいがそもそも表情がハッキリ判るような写真ではない。

 ただ、時間があと十分しかないので次に移りますが、だから、向こうの、中国の情報戦は、極めてしかも稚拙な情報戦であります。余り高度でもない。しかし、その高度でもないものに日本は反論しないという、より稚拙な外交上の戦略があるんじゃないかと大変に遺憾であります。

松原センセイの情報戦の方も残念ながら「稚拙」としか評しようがないものだったようです。

 私は、今回も、今言った文化人の皆さん、例えば屋山太郎さんとか櫻井よしこさんとか、すぎやまこういちさんとか、こういった方々を中心にして、実はこれには我が民主党の国会議員も十三人ぐらい、また自民党の国会議員は三十人ぐらい集まって、前にニューヨーク・タイムズワシントン・ポストに出そうとしたときは、個人のすぎやまさんが出してだめだった。一千万円を出します、意見広告です、事実だけです、この写真は一九三七年のアサヒグラフ、ここをアイリス・チャンが使った、インチキで使っている写真だと明らかにするということでやったにもかかわらず、ニューヨーク・タイムズは、我が社の論調と違います、では論調は何なんだという話なんですよ、事実なんだから。といって却下された。
 今度は、しからば議員も一緒になって出そうじゃないかということで今計画をしているわけであります。櫻井さんや屋山さんや今言ったすぎやまさん、その他文化人の皆さんと国会議員、もちろん私も喜んで名前を出しておるわけでありますが、それでやろう、こういう話をしている。慰安婦問題がアメリカでもカナダでも大変に盛んになってきている中で、私たちはやろうと。

もうこのあたりは南京事件慰安婦問題もゴタ混ぜです。問題意識としてつながっているというのはまだいいとして、区別すべきものは区別してもらわないと…。

 ここで申し上げたいことは、そのものは具体的な内容も極めて興味深いわけでありますが、例えば、いわゆるこの慰安婦に関して、日本軍及び日本政府が極めてそういうふうな悪徳をやってはいけないということを書いてある記事がある。当時、朝鮮半島は日本の領土でありました。そうはいいながら、これはもちろん朝鮮における新聞の記事であります。
 この記事はどういうことかというと、悪徳業者がばっこしている。「悪徳紹介業者」まで日本語でも読めます。「跋扈」も読める。農村婦女子を誘拐、誘惑をする。そして、被害女性が百名を突破している。釜山の刑事が奉天にそのことを究明するために急行した。こういう記事が出ている。
 つまり、この記事は何かというと、要するに本人の意思に反して強制的に、後のデータを見るとそのほとんどは日本人ではなくて朝鮮人による婦女子狩りの女衒であったということであります。時間がないので、その数字は今は言いませんけれども。それを日本の警察が取り締まる、韓国の警察というか、警察が取り締まるという指示を出してやっている、こういうことであります。
 そんな、家を家畜のように追い立ててなんということがあるはずがないことの当然これは証拠になるというか、当たり前であります。あろうはずがないわけであります。

つまり警察は「あろうはずがない」ことを取り締まろうとしていた、ということですか? 取り締まろうとしていたのならそうした実態があった、と考えるのが普通だと思いますが? それから「朝鮮人による」と仰るけど、当時は大日本帝国の臣民ですわな。

 それからもう一つは、こういったペーパーがある。これは、国立公文書館アジア歴史資料センターにある。何かというと、書いてあるのは、慰安婦募集をするのは、これは当時は公娼制度でしたから、慰安婦はマルなんです。しかし、それに際しては国際法を遵守すること。また、婦女子売買や誘拐などは絶対やってはいかぬ。しかも、二十一歳以上かつその職業についている女性を対象にするように、さらに親族の承認も必要だということを、当時の日本の警察が文書で徹底しているのがここにある。
 つまり、セックススレーブの慰安婦狩りなんということはあり得ないんですよ、これは、考えてみて。そういうのをやっているやつは捕まえようといって、刑事が奉天に急行したというんだから。

法律があった、取り締まりがあった、それゆえ犯罪はありえない…! 素晴らしい三段論法です。さすが「美しい国」です。お上が「ない」と言ったものはないんです!

 私は、こういう事実に関して、佐渡島さん、ちゃんと外務省は認識し、こういったことを時々言っているかどうか、それだけ確認したい。時間がないから、簡単に。
佐渡島政府参考人 お答え申し上げます。
 今の慰安婦の部分につきましては、御指摘の報道というのは必ずしも明らかではございませんので、具体的にお答え申し上げるのは難しゅうございますけれども、先ほどのいろいろな事実関係で、明らかに違っているような部分について、どういうやりとりをしているかというのは、委員会でもこれまでに若干のやりとりがあったやに私記憶をいたしておりますけれども、局長レベルを含めて、私どもは先方に問題提起をして議論をしているということはやっておりますので、そのたぐいのことは、今後ともきちんと情報収集を怠りなくやりながら、言うべきことはきちんと継続して議論をしていきたいというふうに考えております。

史料的根拠を欠く質問である、といなされてしまってます。

○松原委員 私、言いたいことは、伝聞情報というのがある。日本側、今私が言ったのは当時の資料に基づいています。南京の人口の問題も一九三九年の南京政府の資料です。三百回の記者会見をやって一回も言っていないというのも資料であります。全部資料であります、これは。もちろん、アイリス・チャンのインチキ写真なんか、資料というかもうひどい話であります。

三百回の記者会見をやって一回も言っていない、というのがどの「資料」に基づいているのかは明らかにされてないんですがねぇ…。

 中国側は、佐渡島さん、例えば中国や韓国側でもいいですよ、慰安婦と称される女性の証言はあるけれども、こういう文書の資料、裁判になれば文書の資料、物があるというのは、これは物証というのは大きいんだ。わかりますか。それは、中国や朝鮮から出てきたものというのはありますか。

それこそ「裁判になれば」証言というのは「大きいんだ。わかりますか」、松原センセイ?

佐渡島政府参考人 申しわけございませんが、今のものにつきましては、少なくとも私が承知しております限りにおきましては記憶にございません。
○松原委員 私は、これは大事なところだと思うんだよね。我々は、少なくとも国がその慰安婦、二十一歳以上でなきゃだめだ、既に売春婦として仕事をやっている者じゃなきゃだめだ、それをきちっと書いた資料があるんですよ、戦前の。全部資料がある。彼らが言っている慰安婦問題にしても南京問題にしても、資料がない。こっちは資料がある。伝聞だってたくさんある。向こうは物的な資料がない。私は、きちっと議論するべきだと思いますよ。とんでもない話であります。
 資料がないのに、我々が人がよくて、日本人というのは昔からなんですよ、いや私が至らないためにと。これは日本の美学だけれども、至らないためにと言ったら国際社会でぼこぼこにされちゃうんだから。とんでもない話だと思っております。

ま、「○○はダメだとした文書がある、だから○○はなかった」などという発想で情報戦を戦えば「国際社会でぼこぼこにされちゃう」のは当然でしょうな。

 そこで、例えば、余り時間がないので簡単に言いますが、元慰安婦で、ビルマで貯金返還金の請求をした文玉珠さんの話は御存じですか。簡単に言ってください、時間がないので。
佐渡島政府参考人 インターネット等でそういう名前が流れているということは私は承知しておりません。

これ、妙な答弁ですな。「承知しておりません」というのに「インターネット等で」という限定がついてる(笑)

○松原委員 時間がないから私が言いましょう。彼女は四年間で二万六千円か何か稼いだんですよ。その彼女が四年間で、売春をして、公的な売春ですからそれは責められない、それによって稼いだお金というのは、陸軍大将の二倍の給料だったというふうに言われている。
 それは彼女はかわいそうだったかもしれない。私たちはそこはきちっと考えなきゃいかぬ。しかし、少なくとも米側で言うようなセックススレーブではなくて、逆に言えば陸軍大将よりも高給を取っていた、結果として。その返還訴訟をしているんです。これは裁判記録に残っています。こういった事実はきちっと認識をするべきだと思う。

軍票での支払いをそのまま額面通りに受けとる議論のアホさ加減についてはscopedogさんなどがすでに指摘しておられるのでそちらをご参照いただくとして、「返還訴訟」があったということは現地で、リアルタイムで支払いが行なわれなかったからだ…というのは理解しておられるんですよね、松原センセイ?

 その上に立って、もう時間がぎりぎりだから言いますが、この慰安婦問題、南京問題、事実究明を我々がやると、中国はああだこうだ言う、韓国もああだこうだ言う。だったらば、アメリカの例えばランド研究所とかそういうきちっとした研究機関がある、彼ら研究機関がやれば、私はアメリカというのはフェアな国だと思う、今回の慰安婦決議を出したマイク・ホンダというのは私はわからないけれども、フェアな国ですから、ランド研究所なりが、慰安婦問題について日本政府から委託をされて、真実をきちっと研究してくれと。ほかにもそういった研究所はたくさんあります、それなりのものじゃなきゃだめです、いいかげんなところじゃ。そこに、真実を研究してくれと委託費を出してやれば、絶対にこれはぬれぎぬだということが明らかになる。
 まず物証はこっちにあって、中国側の物証はないことからも含めて、すべて、慰安婦問題やそして南京大虐殺については真実が明らかになる。日本の手ではなくて、日本が金を出してアメリカの研究機関に委託することによって、これはアメリカの世論も一発で変わる。安倍さんがあっちへ行って広義の強制性があったとかなかったとか言うんじゃなくて、まさに一発でアメリカの世論は変わる。
 私は、ぜひとも、これは少なくとも今やってほしいと思いますが、大臣の所見と決意を聞きたい。
○麻生国務大臣 一つの方法として、アメリカというのは極めてフェアな国であるという判断、私も、それはいろいろフェアじゃないようなことがたまにはあるでしょうけれども、総じてこの国に関して、フェアな判断をし得る可能性の極めて高い国、アメリカというのはそういう国だと思っています。
 今の御意見の点につきまして、今、日中歴史共同研究というのが始まっていますので、ちょっとここらのところでよく双方でやってみるところ、今ちょうどスタートしたばかりなところですが、今言われましたように、やはり記録、資料に基づかない話というのは説得力がないんですよ。その意味では、我々にはその資料はきちんとしたものがあるというのは、これは日中共同研究のこちら側の資料として極めて大事なものだというところからぐらいがまず第一歩かなという感じはいたします。
○松原委員 アメリカの研究機関にというのをぜひ検討していただきたいんですが、もう一回答弁いただけますか。それは前向きに検討してくださいよ。
○麻生国務大臣 今の話は、一つの御提案として受けとめさせていただきます。
○松原委員 結論は、南京大虐殺もああいった形のもの、ああいった形というか、大虐殺、虐殺はなかった、間違いなく。慰安婦も、彼らが言うような慰安婦はなくて、今世界じゅうにある公娼制度のようなものはそれはあったでしょう、こういうことです。
 このことは、例えば文献で、中国との二国間の研究でも物証はあるのかと、ないんですよ。物証を今にわかにつくるしかないんですよ、彼らは。物証がこっちはある。議論がもう全然違いますよ、レベルが。実際なかったんだから、そんなものは。
 そして同時に、アメリカのそういう研究所に委託研究すれば、彼らはフェアにジャッジするでしょう、日本側の言っているのは物証があるじゃないかと。こっちは傍証、いわゆる証言しかない。証言は、同じような証言がこっちもある。
 これは私は、きちっとそうやって国際的な判断を仰ぎながら、日本の誇り、名誉というものを回復することをぜひとも、麻生大臣以下、佐渡島さんも、これはもう男佐渡島の本当に大変な、最後の有終の美か何かわかりませんが、大きな勝負になりますから、これはきちっとやってもらわないと、これをやらないで終わったら日本国民から恨まれますよ。そういうようなことを含めて強く申し上げながら、質問時間が参りましたので、私の質問を終わります。

へえ。アメリカの研究機関に委託するわけですか。まあ日本政府が抱えている未公開の資料をこの際全部オープンにする覚悟があるんだったら、それもいいんじゃないでしょうか。