読売新聞の社説

すでにとりあげているかたもおられるが、昨日付けの読売新聞の社説

南京事件を、「慰安婦問題」に続く新たな火種としてはならない。明らかな事実誤認に対しては、政府もはっきりと反論していく必要がある。


 1937年12月、旧日本軍が中国国民政府の首都・南京を攻略した際に多数の中国人犠牲者が出た南京事件から、70年を迎える。
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 敗残兵で混乱する南京掃討戦の過程で捕虜の殺害や民間人への略奪、暴行が多発したことは、当時の様々な記録や証言から明らかだろう。


 事件の犠牲者数については、中国政府が主張する「30万人」説や、東京裁判の「20万人以上」説に対して、今日では多くの研究者が疑問を投げかけている。


 遺体の数などから約4万人と推定する説や、合法的な捕虜の処刑以外の殺人はごくわずかだった、とする説もある。
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 2人の日本軍将校が100人斬(ぎ)り競争をしたという常識では考えられない話も現地にある「南京大虐殺記念館」などで紹介、展示されてきた。近年、遺族が2人の名誉を回復する訴訟をおこした。東京高裁判決は昨年、「『百人斬り』の戦闘戦果は甚だ疑わしい」とした


 南京攻略戦の検証を踏まえて、その実態を世界に伝えようと、映画の製作に着手した日本の市民グループもある。


 日本と中国の歴史研究者でつくる日中歴史共同研究委員会の作業が、これから本格化する。そういう場でも、南京事件について実証的な議論を深めていくことが望まれる。

強調は引用者。まあいちおう産経とは一線を画そう、という意思の見える社説ではあります。しかし「20万人以上説」と「約4万人」説のあいだに「十数万以上」といった日本側研究者の推定があることをスルーしているし、「約4万人」説が秦郁彦説を指しているなら(普通に考えればそうだろうが)その主たる根拠を「遺体の数などから」とするのはかなり疑問だ。百人斬りが「常識では考えられない話」だというのなら、そうした話を戦意高揚記事として書き、検閲でパスさせ、喜んで読んだ当時の日本社会の「常識」も問われることになろう。「百人斬り訴訟」ではそもそも被告側だって当時の報道通りのことがあったなどとは主張していないし、南京軍事法廷での両少尉への判決でも「捕虜および非戦闘員に対する虐殺競争」と認定されているのだから、「『百人斬り』の戦闘戦果は甚だ疑わしい」というのは反論としては意味がない。
そしてなにより、これまでも述べてきたことだが、日本政府が「明らかな事実誤認に対しては(…)はっきりと反論していく」などというのは、社説子が考えるほど簡単なことではないのだ。30万人説の不備をついて「根拠が十分じゃない」と指摘するだけならはなしはそう難しくない。しかし「30万人説は事実に反する」と言おうと思えばなにが必要か。

奥野元国土庁長官は「中国政府にかけあって紀念館のかかげる三十万の数字を訂正させろ」と迫って外務省を困惑させたが、代わる数字の持ちあわせがあったのだろうか。へたな数字を持ち出して根拠をただされれば恥をかくだけで、終戦直後の泥ナワとは言え、生きのこり被害者の証言を積みあげた三十万に対抗できる数字をわが方から出すのは不可能と思う。
秦郁彦、『昭和史の謎を追う』、上198ページ)

南京事件の犠牲者数がはっきりしない最大の要因は、捕虜や敗残兵の殺害に関していえば旧軍の戦闘詳報等が多く失われていることであり、非戦闘員の殺害や強姦についていえば事件直後に網羅的な調査が行なわれなかったことである。もちろん、1930年代に自軍のおかした戦争犯罪を積極的・自発的に徹底調査した国家なんてないだろうが、だからといっていま現在「30万という数字がまちがいである根拠は、文書を焼いてしまったし当時調査もしなかったので出せません」では通用しない。もちろん、よくわからないことについては「よくわからない」と認めることは重要で、日中歴史共同研究委員会でそうした対応を中国側から引き出すことができればよいと私だって思うが、「犠牲者数についての日本政府の見解」なんてものを出すのに必要な準備は日本政府にはぜんぜんない、というのが実情だろう。