「「妖怪」がわかれば「昭和」もわかる」(対談)

作中で731部隊について触れたら左巻き認定されてしまった京極夏彦の対談集、『対談集 妖怪大談義』(角川書店)収録の、保阪正康との対談。連休中にどこかでその一部が引用されていたのを見かけて、「これは紹介する価値があるな」と思って本を探してきたのだが、今度はどこで引用されていたのかわからなくなってしまった…。というわけで仁義を切ることができないのだが、思い出すきっかけを作ってくださった方にお礼申し上げます。
追記:思い出した、というか再発見しました。以下で引用したもののうち前半部分がこちらで紹介されていました。


京極夏彦保阪正康に、昭和史研究を始めたきっかけを問うたのをうけての部分。何千人もの軍隊経験者にはなしを聞いてまわった経験に基づき、保阪正康は次のようなエピソードを紹介している。

保阪 こんなこともありました。口ではいろんなことを言うけれども心のなかで、自らの実体験に傷ついている人がいるんです。口では「日本軍国主義、何もそんなひどいことしてねえ」とか言うんですよ。だけど、「あなたはそう言うけれども、やっぱり日本もとんでもないことをしたんじゃないですか」みたいに話してたら、そのうち「君にだけ話したい」と言って、日をあらためて来いという元軍人もいました。
京極 それはどんな方ですか。
保阪 戦後はある会社の社長さんです。行ったら、ポケットから数珠を出すわけね。そして、いつも電車のなかで四、五歳の子どもを見たらこれで手を合わせてるというんです。それで、孫を自分は抱けなかったというんです。なぜかといったら、やっぱり中国で三光作戦をやって四、五歳の子どもを殺した体験を持っていたんですよ。家に火をつけると子どもが逃げ出してくるでしょう。上官に「どうしますか」ときくと、「始末しろ」と言われたっていうんです。心のなかはガタガタになっているんです。だから、逆に強く出るんです。
京極 うーん。
保阪 自分は孫が抱けない、数珠を手放せない。社長さんですよ。「キミ、日本は悪くないんだ」なんて言ってるんだけれども、ちょっと裏返しになると本当にシューンとしちゃうんですね。彼は口ではまさに軍国主義的なことを言いますよ。だけど、そんな人間のうしろに贖罪意識が隠されている。やっぱりそういうことをきちっと、僕は次の世代として聞いておかなければと感じるんですね。
京極 個人個人では、ものすごく贖罪の意識があるんですね。自分も傷ついているわけですしね。でも、それが全体として、国家として贖罪したかっていうことになると、これはどうもはっきりしないうちに済んだことにされてる。結局、後始末が個人に押しつけられているんですね
保阪 そうなんですよ。それでね、僕は医学システムの評論やレポートなんかも書くから医者からよく相談されるんですけど、八十代で死にそうなおじいさんがいるというんですよ。
京極 ほう。
保阪 四十代の医者が僕のところにきて、もう動けないはずの患者が、突如立ち上がって廊下を走り出すというんですよ。そして、訳わかんないことを言って、土下座してしきりにあやまるというんです。そういう人たちには共通のものがある。僕はこう言うんです。「どの部隊がどこにいって戦ったかというのを、だいたいは僕はわかるから、患者の家族に所属部隊を聞いてごらん」。みんな中国へ行ってますよ。医者はびっくりします。
京極 ひどいことをしてきたのをひた隠しにして生きて来られたんですね。
保阪 それを日本はまだ解決していない。
京極 戦後、個人におっかぶさったものってすごく大きいと思うんです。
保阪 そういう意味で、日本の社会はある種の二重構造をもっているという気がする。それに気づくと、昭和史を調べていてもしんどいですよ。僕はべつに恥部を暴くという意味でやるわけじゃないんですけど。そういう話を聞くことが多いんです。
(305〜306ページ、強調引用者。原文のルビを省略した。)

80歳を過ぎ、死の床にあってなお「突如立ち上がって廊下を走り出」し、「土下座してしきりにあやまる」老人が、60年近くどれだけ苦しんできたことか。(家族を)殺された側の苦しみと比較することが許されるかどうかは別として、苦しみの強度の点では「殺した側」が「殺された側」に劣らない、ということだって十分あり得る。多くの人間にとっては、殺人を強要されることも外傷的な経験だからである。外傷的な経験だからこそ否認のメカニズムもはたらくわけであるが、みながみな悲惨な体験にきれいに蓋をして一生を終えることができるわけではない。比率としてどれくらいとは言えないが、こうした元将兵*1のエピソードには時折お目にかかる。戦争神経症の症状を呈した兵士たちの一部も、もちろん同様な体験が外傷となっていたわけである。
ただ、細かいところにこだわるようだが、ここで紹介されているような事例には「贖罪意識」は見られないように思う。むしろ、「贖罪意識」によって自らの体験を捉え直すことができないからこそ、これだけ苦しんでいるのではないだろうか*2。殺人の体験をどう受容するかについて「後始末が個人に押しつけられ」、「恥部」だからということで口にする機会ももてず、ひたすら個人の内面に抱え込むしかなかった元将兵たち。「戦争だからしかたなかったのだ」と言いつつ、「戦争だから」では正当化できないと元将兵たち自身が感じている事柄まで隠蔽してきた、そして中国共産党の認罪教育を「洗脳」と嗤い、しかし参戦将兵たちが自らの体験を語り出せるような環境を自分ではつくってはこなかった戦後の日本社会。「恥部」を語るなと言う者は、(一部の)従軍将兵たちの苦しみを代償として自分の自己愛を護っているのではないのか。

*1:最前線から遠いところで命令を出す立場の人間ではなく、現場で殺人を強要される立場だった人々。

*2:むろんこれは、「贖罪」というのは自分が肩の荷を下ろすために行なうものだ、ということを意味しない。