古森=池田連合

池田信夫 blog 国連という神話
ステージ風発 小沢一郎さん、国連軍を日本に常駐させたら、どうでしょうかーー実際にあった提案です*1

国連の安保理事会が、日本のアフガニスタンでの給油活動に「感謝」する変な決議をしたことで、問題はかえってこじれているようだ。これはロシアも批判したように、日本の国内事情のために外務省がやらせた茶番劇である。この背景には、小沢一郎氏の「国連至上主義」がある。これは『日本改造計画』のころから一貫しているが、あまり他には類を見ない奇妙な信仰だ。
(「国連という神話」)

これに続く段落で池田氏は古森“1941年に逮捕されたゾルゲがもたらした情報によりソ連軍は満州侵攻を決めた、という与多話に「重要な歴史上の事実を知らせてくださり、ありがとうございました」と答えてしまう”義久氏のエントリに言及しているのだが、その古森氏は同じく『日本改造計画』を引き合いに出して「当時の言葉と現在の言葉と、その対照は恐ろしいほどの変節、変貌を描き出しています」と評しているんである。一体どっちなんだYO! と小沢氏も困惑してしまうんじゃないでしょうか。
実際に『日本改造計画』にどう書いてあるかと言えば、古森氏は次のように紹介しているわけです。

「日本は国防の基本方針の第一項に国連中心主義をうたってはいるものの、実質的には日米安保体制のもとに独立や平和を守ってきた。自由、基本的人権の尊重といった価値観も日米は共有している。この点から考えても、平和維持のための貢献はアメリカと緊密に協調して行うべきである」

この認識を「国連至上主義」と分類するのは無理ありすぎ。日本の「国防の基本方針」がその正統性を国連に求めているという認識については「一貫」しているわけですが、しかし『日本改造計画』の時点では「国連中心主義」の内実が結局は「日米安保体制」だと言ってるわけです。左翼に言わせりゃ国連軽視ですよ(笑) これと比べれば小沢氏の現在の主張は明らかに変化している。かといって「転向」と評するのも無理ありすぎです。だって「アメリカがどんな無茶なことをやろうが、でっちあげの理由で戦争を始めようが、日本はアメリカについてゆくべき」なんてことはもともと主張してないし、少なくともタテマエとして国連が正統性の基盤であることは否定されてなかったんだから。
ま、小沢氏のこの変化がアメリカのでっちあげ戦争を踏まえてのことなのか、それとも党利党略なのか…なんてことを現時点で問うてもあまり意味があるとは思えませんが、いまだに自分の「恥辱の殿堂」入りを自覚していない古森氏はともかく、イラク戦争は誤りだったと考える池田氏にとって「国連はアメリカのご無体な要求をかわして巻き添えをくらうのを避けるのに役立つ」という発想がありうることくらい簡単に想像可能だと思うんだが…。

*1:どうでもいいんだが、ダッシュの代りに音引きをずっと使ってること、誰か注意してあげないのかな。