てんこもり野郎氏はなにを隠蔽しようとしているのか?

もともとの事件にほとんど関心がないうえ、どうでもよいと言えばどうでもよいことなのですが、そのどうでもよいことにしがみつくその振る舞いがかえって少し興味深いことを指し示しているかな、という事例。


先日とりあげた件なのですが、実はこのエントリでは決定的な論拠に触れていません。そんなものに触れるまでもなく "that gave the world Pearl Harbor and the Rape of Nanking" というフレーズは「真珠湾攻撃南京大虐殺を引き起こした」としか読みようがないからなのですが。ちなみにてんこもり野郎氏を真に受けてしまった被害者の一人のブログでは、もうひとつ別の論拠が指摘されてます。

記事どおりにPearl HarborやらRape of Nankingを解釈すると
The successor (=”後継者”)は誰やねんって話になります.
第一Pearl HarborとRape of Nankingをgiveしたのがgovernment ministry(=省庁)であると書いてあり,
そのgovernment ministryがハリウッドやらアイリス・チャンであると解釈するのは無理があると思いませんか?

例えば "Pearl Harbor" の代わりに "The Bridge on the River Kwai" (映画『戦場にかける橋』の原題)となっていたのなら、"gave" にかなりひねくった解釈を与える余地もあるでしょう。"The Bridge on the River Kwai" は「クワイ河にかけられた橋」を指すと解釈することもできますが(ただし "The" が大文字という問題を無視すれば)、映画のタイトルと解する方が自然だからです。しかし "Pearl Harbor" で真珠湾攻撃ではなくマイケル・ベイの映画を連想させる必要など、ここではさらさらないわけです。
さてお気づきの方もおられるでしょうが、"Rape" についている定冠詞は "the" となっています。アイリス・チャンの著作のタイトルは "The Rape of Nanking" ですから、定冠詞が小文字で表記されている以上、著作名と解す余地はないわけです(「南京大虐殺」と解したのでは意味が通らず、著作名と解した方が意味が通るというのならばタイポを考える余地も出てきますが、ここではむしろ「南京大虐殺」と理解する方が自然であるわけです)。
先方のコメント欄でこの点を指摘したんですが、するとブログ主および他の投稿者から驚くような反応が返ってきました。

既に挙げたこの例を見よ。


Planet of the apes is one among several crass movies in a summer that gave us Pearl Harbor and Jurassic Park III
http://www.cpgb.org.uk/worker/397/apes.html


X Planet of the apes
○ Planet of the Apes


それにゴシップ記事なんだから「T」と「t」なんてのはこれまたどうでもいい話。(w

笑ってしまいますね。"planet of the apes" と書いてるのに「これは映画のタイトルだ」と言い張ってるようなものです。

5."the"と違って”The"だから本ではないとの主張があるが、これはよくある単なるミスとも考えられる。
しかし、明らかに Nanking Massacre ではない。
文章を声を出して読んだ場合、「T」も「t」も違いはないのでChan氏の本と読み手が受け取る可能性の方が高い。

「声を出して」なんて条件を持ち出したら、大文字と小文字の使い分けのルールなんてすべて無意味になってしまいます!
なお、私がしょっぱなから喧嘩腰である理由は、ブログタイトルが「日本アンチキムチ団」であるというただその一点をとってもご想像がつくと思います。詳しく知りたいという奇篤な方はこちらとかこちらなど、本館の人権擁護法案関係エントリをご覧ください。


ではなぜ、中学校で習うような事柄を無視してまで映画『パールハーバー』、アイリス・チャンの著作『レイプ・オブ・ナンキン』のことだと言い張りたいのでしょうか? ヒントは

簡単にまとめると


1.「”」はどうでもよし。
2.「真珠湾攻撃」「南京大虐殺」が映画と本のタイトルじゃないとする根拠はまったくなし。
3.コネル氏のこの文章に何らかの政治的意図があったとするのは無理がある

の3点目にあります。そもそもあんなゴシップ記事に高尚な政治的意図などありようはないわけですが、しかしなぜ「政治的意図」がないことが歴史的出来事ではなく著作物のタイトルを指すという根拠になる、などと考えるのでしょうか? あの記事は、読者が「真珠湾攻撃」や「南京大虐殺」という歴史的出来事から旧日本軍を連想することを想定して書かれています。これらは旧日本軍の行ないの代名詞として用いられているにすぎず、とりたてて「宣戦布告の遅れを問題化しよう」とか「戦争犯罪を告発しよう」といった意図があるわけではない。しかしそんな特別な意図などなくても、海外では旧日本軍といえば真珠湾攻撃南京大虐殺だ、という認識が当たり前のようにあるわけです。てんこもり野郎氏は、この当たり前さを直視することができないのです。「政治的意図」はなくても、表現が前提する政治的文脈というものはある。すなわち旧軍に対する否定的評価、という東京裁判講和条約を通じて確定した文脈です。この文脈を否認しよう、というのがてんこもり野郎氏のやっていることなのです。自分が見たくないものは外国人にも見えないはずだ・・・というのが、実のところ彼の主張を支えている論理なのです。


しかしこれはずいぶんと苦しくかつ虚しい努力です。あり得ないはなしですが仮に当該箇所が『パールハーバー』、『レイプ・オブ・ナンキン』となっていたとしましょう。しかし読者はそこから結局真珠湾攻撃南京大虐殺を連想し、そうして初めて旧日本軍を連想するわけです。したがってあの記事は、結局のところ「旧日本軍=真珠湾攻撃南京大虐殺」という連想を想定して書かれていることに変わりないわけです。そこで彼がひねり出したのがこういう理屈です。

皮肉ですのでこの場合のニュアンスは糞映画「Pearl Harbor」と糞本「Rape of Nanking」って感じかな。(w

しかしこの記事がマイケル・ベイジェリー・ブラッカイマー(あるいはベン・アフレック)に対して、アイリス・チャンに対して「皮肉」を込める理由などこれっぽっちもありません。皮肉があるとするなら、当然自衛隊防衛省)に対する皮肉のはずです。またすでに述べたように、産経新聞に雇われた工作員ならともかく、旧連合国の市民(例の記者はオーストラリア人とのこと)が『レイプ・オブ・ナンキン』に「糞本」という「ニュアンス」を込めるなどというのは、それこそきわめて特殊な事情がなければあり得ないはなしです。ここでもまた、自分の主観的願望と客観的事実とが混同されているわけです。


追記:上記の推論を裏付けるコメントが「指摘」氏のそれです。

真珠湾攻撃南京大虐殺を引き起こした・・・」


との翻訳だと非または責任が陸軍省にあるような印象を受ける。


コネル氏の原文での真珠湾攻撃南京大虐殺の役割はあくまで防衛庁陸軍省)を連想させる言葉としてであり、非が何処にあるかなどの責任の所在に関する記載は無い。

特定日本人がどのように考えようが、真珠湾攻撃南京大虐殺の「責任」が旧日本軍にあることは、国際的には自明のことです。「非が何処にあるかなどの責任の所在に関する記載」なんてものをわざわざ行なうまでもなく、当たり前に定着している認識です(まあもちろん、どの国にも「えっ? 日本と戦争したんだ? へぇ〜」みたいな人間はいるでしょうが−−こちらを参照−−、大人の書き手が読者に想定してよい認識として、です)。いかに「国内でしか通用しないロジック」でものを考えているか、が実によくわかって興味深いですね。