「あなたたちの尊い犠牲の上に」

昨日紹介した『地獄の日本兵』の「おわりに」より。

 戦後、とりわけバブル景気華やかだったころ、数多くの戦友会によって頻繁に行われた慰霊祭の祭文に不思議に共通していた言葉がありました。
「あなた方の尊い犠牲の上に、今日の経済的繁栄があります。どうか安らかにお眠りください。」
 飢え死にした兵士たちのどこに、経済的繁栄を築く要因があったのでしょうか。怒り狂った死者たちの叫び声が、聞こえて来るようです。そんな理由付けは、生き残った者を慰める役割を果たしても、反省へはつながりません。逆に正当化に資するだけです。実際、そうなってしまいました。

今日もあちこちで「尊い犠牲」という言葉が口にされるのでしょう。


昨日新聞で読んでここでもとりあげようと思っていたのですが、「戦争を語り継ごうブログ」さんが先にエントリにされていました。朝日新聞8月14日夕刊(関西版のみ?)、「勝手に関西 世界遺産 登録番号180 天王寺動物園「戦時中の動物園」展」です。

天王寺動物園で開かれている「戦時中の動物園」展は、一頭のヒョウとひとりの男の記念写真から始まる。ヒョウは跳び箱の上に前脚をきちんとそろえて座り、男はアフリカ探検に出かけるかのような帽子をかぶり、ヒョウの背後に寄り添い、腰にしっかりと手を回している。両者の信頼関係がひしひしと伝わってくる。


 撮影の翌日には、男が我が子同然に育ててきたヒョウを自らの手で殺さねばならなかったと聞かされなければ、これは、ある日の天王寺動物園で撮られた、和やかで、少々晴れがましい写真にしか見えない。なるほど、そういわれてみれば、飼育員原春治さんの表情は暗く、沈んでいる。帽子に白シャツ白ズボンは正装であり、まさしく明日に迫った別離の記念写真だったのである。


 写真は昭和18年9月12日に撮影された。天王寺動物園では、9月はじめから、いわゆる「猛獣処分」が行われていた。もしも空襲で檻(おり)が破壊され、市中に猛獣が逃げ出したらたいへんと、先手を打って殺害することを「処分」と称したのだった。東京の上野動物園が先鞭(せんべん)を切り、天王寺動物園が後につづいた。


 「処分」とは、当時も今も、殺害という現実から目をそらす言葉かもしれない。人間よりもはるかに強靱(きょうじん)な動物を殺すだけでも過酷な仕事なのに、もっとも身近に接し、愛情を注いできた飼育員自らが手を下すのは悲劇というほかない。採られた方法は薬殺だったが、原さんの流した涙を敏感に察したのか、写真に納まったヒョウだけは毒入りのエサに手を出さず、やむをえず絞殺するほかなかったという。こうして、天王寺動物園では10種26頭が殺された。
(後略)

強調は引用者。「尊い犠牲」もまた同じ機能を果たす言葉であるわけです。