続・田母神問題、沖縄戦「集団自決」訴訟高裁判決への反応ウォッチング

「続」といっても前回は田母神問題にまで進めなかったのですが。というわけでさっそく櫻井よしこさんにご登場頂きましょう。題して「航空自衛隊の前幕僚長の論文は全体像把握に必要な知的努力」(http://yoshiko-sakurai.jp/index.php/2008/11/15/航空自衛隊の前幕僚長の論文は全体像把握に必/)。

この時期に、空自幕僚長が歴史をめぐって発言することの妥当性について評価が分かれるのは当然だが、氏の主張が「朝日」の言う「一部の右派言論人が好んで使う」「身勝手な主張」であるとは、思わない。前述のように、田母神論文の内容は、これまでも内外の専門家が広く指摘してきたことだ。

「専門家」が「広く」指摘、ですか。なるほど。で、どんな具体例が出てくるのかと言えば……

1920〜30年代の中国研究における米国の第一人者の一人、ジョン・マクマリーのメモランダム、『平和はいかに失われたか』(北岡伸一監訳 原書房)が一例だ。同メモランダムは日米開戦時のグルー駐日大使や、戦略論の大家であるジョージ・ケナンら、米国のアジア問題専門家らに影響を及ぼし続けてきた。そのメモランダムでは20〜30年代の日中関係はどのように見られていたか。

ふむふむ。で、他には? と思ったらマクマリー一人だけなんですよ!

このように、田母神氏の主張は、国際社会でも指摘されてきた内容だ。

「これまでも内外の専門家が広く指摘してきたこと」と書かれているのを読んだ読者が予想するのは、現役の近現代史家が少なからずそのようなことを指摘している、ということでしょう。ところが驚くべきことに、引き合いに出されているのはアメリカの外交官が当時、「20〜30年代の日中関係」をどのように分析していたか、ということでしかないのです。当然ながら、利害関係国の一つであるアメリカの国益を念頭においた分析です。ただ一つだけあげた実例としてこんなものしかもって来れなかったということは、要するにまともな近現代史家であれば「内外」を問わず田母神「論文」が開陳する歴史認識など歯牙にもかけないということを案に認めているようなもんです。