『WiLL』2月号、3月号より

  • 秦郁彦、「陰謀史観のトリックを暴く」、『WiLL』、2009年2月号
  • 古荘光一、「「秦郁彦論文」の欺瞞」、『WiLL』、2009年3月号

秦氏は田母神「論文」についてあちこちでコメントしているわけだが、「陰謀史観のトリックを暴く」にはちょっとした趣向がありますので改めて紹介しておく価値はあるかと。
191ページの「《別表》コミンテルンの「陰謀諸説」」は田母神元空幕長・中西輝政渡部昇一各氏の主張と自身の主張とを対比し、かつ自説の「確度」をパーセントで表示しています。ここでは表から陰謀説の「要旨」と「秦のコメント(確度)」を抜き出して箇条書きに改めました。なおT=田母神元空幕長、N=中西輝政、W=渡部昇一、です。

  1. 張作霖の犯行〔ママ〕はコミンテルン工作員。(T、N) → 首謀者は関東軍の河本大作であることが確定的(99%)。
  2. 中国国民党は日本人に大規模な暴行、惨殺事件を繰り返した。(T) → 死者は計数人に過ぎない。日本軍の北京占領の翌日に起きた通州事件(邦人180人惨殺)は、傀儡政権の保安隊がひきおこした「飼い犬に犬〔ママ〕をかまれた」事件。
  3. 盧溝橋事件の第一発は中国共産党の謀略。(T、N) → 第一発は中国第29軍の下部兵士による偶発射撃(80%)。
  4. 第二次上海事変は張治中(秘密党員)の謀略。(N) → 証拠がない(80%)。
  5. 日本はル大統領のしかけたワナにはまり、真珠湾を攻撃。(T、N) → 学問的には否定されている(98%)。
  6. ハル・ノートコミンテルンに指示されたホワイトが起草した(T、N、W) → ホワイトは起草者ではない(99%)。
  7. ル大統領はフライング・タイガース(100機)を中国に派遣、開戦の1ヶ月半前に日本を航空攻撃。(T) → そうした事実はない(100%)
  8. 日本の軍部や右翼は国体の衣をつけた共産主義者(近衛上奏文) → 近衛の被害妄想
  9. ほとんどの戦争の始まりは謀略によってですよ。(N) → 同意(ただし偶発を加えたい)

ちょっと分かりにくいのは張治中謀略説に対するコメント「証拠がない(80%)」ですが、これは本文の記述その他から判断して「張治中の謀略ではない」の確度が80%、という意味でしょう。
100%と99%、98%を微妙に使い分けているのも興味深いですが*1、本文中で「私見では教科書に史実として記述できるのは〔確度〕九〇%以上かと思っている」としていること、他方自身の代表的な業績の一つである「盧溝橋事件第一発=29軍兵士の偶発射撃」説の確度を80%としていることにも留意したいところです。100%確実でなければ教科書に書いてはいけないということはない。研究者の主張としてなら90%以下の確度でも発表してかまわない…ということを含意するわけですが、これは学問研究の性質を考えれば(数字をどう設定するかは別として)当たり前のことで、一部の歴史修正主義者が「100%確実じゃない」と言い立てることの不毛さを改めて感じます。


さて3月号の古荘氏の方は、与えられた紙数の多くを“蒋介石がいかに早くから決意、準備してきたか”を示すことに費やしています。だったらどうした? としか言いようがないですね。日本の「左翼」は“蒋介石は一貫して日本との戦争を回避しようとしていた”などと主張しているでしょうか? 日本の軍部と政府は全面戦争突入で意思統一されていた、などと主張しているでしょうか? 実際には日中どちらも一枚岩ではなかったわけですが、中国側の積極派/慎重派、日本側の積極派/慎重派のうち日本の積極派の動きが決定的な意味をもつのは、実に単純な理由によります。戦争が中国の領土で行なわれた、という事実です。上海でとどまっていればともかく*2、南京まで進撃した時点で中国側の戦争意思と日本側の戦争意思は対称的なもの、「どっちもどっち」と言いうるものではなくなってしまったのです。

*1:これは「フライング・タイガースによる対日攻撃(の有無)」の方が「河本大作の主導による張作霖爆殺」よりも単純な事実である、ということによるのかもしれません。

*2:あるいは蒋介石が東京進攻作戦を計画していた、というならともかく。