67年目の12月8日

今年は前日の7日が日曜日だったこともあってか、テレビを見ても新聞を見ても対英米開戦についてのコンテンツはほとんどみあたらない。目についた一つは次のもの。

  • NIKKEI NET 2008年12月8日 「開戦前の交渉、「米は東亜の現実無視」 野村元駐米大使」

 1941年12月8日の太平洋戦争開戦前に日米交渉にあたった野村吉三郎元駐米大使の日記や書簡など未公開だった文書が国立国会図書館(東京・千代田)で公開されている。元大使が開戦翌年の42年8月、昭和天皇に「米国政府は終始東亜の現実を無視」と交渉の経緯を説明。真珠湾だまし討ち批判については「(ルーズベルト大統領の)自己弁護に過ぎない」などと報告していたことが分かった。

今年の春に遺族から寄贈された資料とのことである。
前日の7日にはテレビ朝日の「ザ・スクープスペシャル」が第一部で「幻の米国“日本先制爆撃計画” 67年目の真実」と題し、フライング・タイガーズに爆撃機を供与して日本の主要都市を空爆するという計画(実行予定は41年11月)を裏づける公文書が見つかったという件、またいわゆる真珠湾の九軍神に隠れた存在となった捕虜第一号、酒巻少尉の生涯(戦後も含めて)を追ったドキュメンタリーが放映された。本来なら田母神もと空幕長の“陰謀論文”との関係で真珠湾攻撃(対米開戦)問題はもっと詳しく、多角的に、多くのメディアで扱う価値はあったと思うのだが(そしてそれなりに視聴者、読者の関心を惹いたと思うのだが)、時期が時期だけに間に合わなかったのはしかたないだろう。なお、昨年刊行された淵田美津雄の回想記『真珠湾攻撃総隊長の回想』(講談社)には凱旋後の12月26日、大本営潜水艦主務参謀から「アリゾナの轟沈を〔特殊潜航艇による〕特別攻撃隊の戦果に呉れないか」といわれたことが記されている(実際にはすでに大本営発表で特殊潜航艇がアリゾナを撃沈、としていたのだが)他、「国民の間では、どうも九軍神とは数がおかしいではないかと詮索するのがいたりして、大体はばれていた」とも書かれている。淵田がどのような根拠でそう判断したのか不明だが、「国民はどの程度騙されていたのか」を考えるうえで興味深い材料ではある。
Googleニュースで「真珠湾」を検索するとヒットするアメリカ発のニュースの一つが、日系三世の元陸軍参謀総長エリック・シンセキが12月7日、新政権の退役軍人長官に指名されたというもの。違憲判決を受けての国籍法改正をめぐる騒動や先の田母神問題とひき比べると、旧敵国民の子孫*1を陸軍トップにつけいまさらに退役軍人長官にしようとしている国との器の違いが際立つようで、なんともやるせない。

*1:42年生まれのエリックの祖父の時代に移民しているので対米開戦時にはすでに両親はアメリカ人であったと推測できるが、国士様基準ではこういう表現で当然ですわな。