案の定

でてきましたよ、「推定無罪の原則」が。id:negative_dialektik 氏から。

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客観的な証拠により「合理的な疑いを容れない程度の証明」が出来ないのであれば、被告人は有罪にはすべきではありません。これは刑事訴訟法の大原則である「無罪推定原則」です。「疑わしきは被告人の利益に」「疑わしきは罰せず」という言葉は野原さんももちろんご承知のとおりです。
 ところが、通常であればごく当たり前のことであり、国家による人権侵害を防止するために重要な法原則であるこのことが、ある主題に関しては、まったく受け入れられない、ということが、私には恐ろしく思われます。
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(http://d.hatena.ne.jp/noharra/20090107#c1238115714)

ホロコーストは史実である」という主張が後になって誤りであることが判明する、という蓋然性の問題としてはおよそ考える必要のない仮定を採用したとしても、それまでの歴史学的な記述によって不当に「有罪」とされてきた(つまり「冤罪」を背負わされてきた)人間なんていません。これまでの戦犯裁判で有罪とされてきた人びとについては「冤罪」だったということになっても、それは第一義的には戦犯裁判の誤りによるのであって歴史学の誤りによるのではない。歴史学は誰かに(厳密な意味で)有罪判決を下して絞首刑にしたり終身刑を課したりする権能を持たないから。さらに刑事裁判においては被告人という一個人が国家と対峙するのに対して、ホロコーストは国家犯罪である。(かつて存在した)国家が犠牲者の生き残りに対して「おれの犯罪を証明してみせろ」と要求しているという構図において、「推定無罪の原則」を文字通りに持ち出すのは倒錯でしかない。
では「ホロコーストは史実である」という通説が誤りであった場合、「ドイツ民族」や「ドイツという国家」への名誉毀損となるのだから「推定無罪」が準用されるべきだ、という主張はどうか。旧日本軍の戦争犯罪をめぐっても出てくる主張である。石原慎太郎の「ババア」発言に対する民事訴訟(原告敗訴)が示すように、日本の裁判所は不特定多数の人間に対する侮辱を民法上の不法行為とは認めていない(刑法230条についても同様だろう)。人権擁護法案の場合も第三条では「特定の者に対し、その者の有する人種等の属性を理由としてする侮辱、嫌がらせその他の不当な差別的言動」を「人権侵害」としており、民族集団を一括りに侮辱するような発言は「人権侵害」に含めていない。これは表現行為を不法行為とか刑事犯罪とすることを、誰かの具体的な権利が侵害される場合にのみ限ろうという発想であり、「ドイツ民族」や「ドイツという国家」に対する名誉毀損が成立するという発想とは真っ向から対立する。「ドイツ民族」に対する名誉毀損が許されないと考えるなら、「ホロコーストの被害者」という集団の名誉感情も同様に保護の対象となるはずであり、「ホロコーストはでっちあげだ」「ホロコーストが史実かどうかわからない」という発言が(通説が正しければ)名誉感情を傷つけるものであることを認めなければならない。「ドイツ民族の有罪がはっきりするまでは無罪と推定すべき」という論理は同時に「ホロコーストが嘘だということがはっきりするまでは史実だと推定すべき」を導くのである。