「なんぼ血脂を吸っても斬れた」

「私の軍刀備前長船。オヤジがはなむけとしてくれたヤツです。何でも日本刀は世界一の人斬り道具だそうですな。ええ、よく斬れましたっけ。話では、人を斬ると血脂が粘りついちゃって、駄目になるっていうが、嘘だな。なんぼ血脂を吸っても斬れた。ゲリラの首を打ち落としても、手応え〔原文は「てごた」とルビあり〕を感じないくらい斬れた。でも、不思議ですよ。首が飛ぶと女はかならず、うつぶせに倒れる。男はあお向け。なぜかな、こればっかしは今でも割り切れません。他人より切れる刀を持ってる自負からか、ずいぶん斬りましたねえ。中隊ではいちばん斬ったでしょうな。さあ、あとさき何人くらいになるかなあ・・・・・・。
(後略)

下川耿史、『死体と戦争』(ちくま文庫)、146ページより。『週刊サンケイ』編集部にいたことのある著者が、その『週刊サンケイ』時代に取材した元衛生下士官の回想。山本「事実であろうと、なかろうと」七平センセと同じくフィリピン戦線帰りとのことである。
この回想を直接裏づける別の証言、証拠があるわけではない。なにしろ朝日新聞阪神支局銃撃事件に関する『週刊新潮』の与太記事のような例もあるわけだし。著者のジャーナリストとしての力量をよく知っていれば取材の確かさについてある程度の感触をつかむことができるだろうが、私が読んだことのある下川氏の著作はこれだけだ。
とはいえ、「裏付けがない」点については『私の中の日本軍』における七平センセの回想だって同じなのである。こちらは上の引用のような伝聞(取材)とは違って本人自らの筆になるものであるが、他方で「百人斬り」論争にコミットしている当事者の弁であるから、偽証する具体的な動機は七平センセの方が強く持っていると想定することだってできるわけである。「他人より切れる刀を持ってる自負」という一句が示すように、自らの体験が直ちに一般化可能でないことの自覚があることも注目に値しよう。「最大限三人」説が人口に膾炙している割には自分自身で『私の中の日本軍』の当該箇所を読んだというひとは(特に現在40代以下の読者の場合)さほど多くないと思われるが、実のところ「最大限三人」説の客観的、実証的な裏付けなんてないのである。「うまく斬れなかった」という事例を非体系的にいくつか並べただけでは、一般性をもつ結論を導くことはできない。「特殊によって一般を推定するエピソード主義」という批判はここでもあてはまるのである。