ロクでもない談話にしかなりようがないメンバー
この夏に予定されている「戦後70年談話」を検討する諮問機関の“有識者”メンバーが公表されたわけですが、中日新聞はその顔ぶれについて「首相に考えが近いメンバーも多い」とする一方、毎日新聞は「首相ブレーン以外も起用してバランスを取った形」としています。ところがリストを見るとちゃっかり山田孝男・毎日新聞特別編集員が入ってるんですね。どちらの評が的確か、まあ言うまでもないでしょう。
座長代理として事実上懇談会を仕切ると思われる北岡伸一氏については、昨年末の朝日新聞第三者委員会報告書における個別意見の酷さが(私の周囲では)話題になりました。
吉田証言が怪しいということは、よく読めば分かることである。従軍慰安婦と挺身隊との混同も、両者が概念として違うことは千田氏の著書においてすら明らかだし、 支度金等の額も全然違うから、ありえない間違いである。こうした初歩的な誤りを犯し、しかもそれを長く訂正しなかった責任は大きい。
類似したケースはいわゆる「百人切り」問題である。戦争中の兵士が、勝手に行動できるのか、「審判」のいないゲームが可能なのか、少し考えれば疑わしい話なのに、そのまま報道され、相当広く信じられてしまった。
そもそも「百人斬り」報道が「相当広く信じされてしまった」のかどうかも実証的な検証が必要なことだと思いますが、当事者は「兵士」ではなく将校ですし、「審判」については当時取材にあたった記者が戦後にこう証言しています。
あの時、私がいだいた疑問は、百人斬りといったって、誰がその数を数えるのか、ということだった。これは私が写真撮りながら聞いたのか、浅海さんが尋ねたのかよくわからないけど、確かどちらかが、"あんた方、斬った、斬ったというが、誰がそれを勘定するのか"と聞きましたよ。そしたら、野田少尉は大隊副官、向井少尉は歩兵砲隊の小隊長なんですね。それぞれに当番兵がついている。その当番兵をとりかえっこして、当番兵が数えているんだ、という話だった。−−それなら話はわかる、ということになったのですよ。
『週刊新潮』の1972年7月29日号に掲載された記事ですが、「百人斬り」裁判の判決でも引用されています。北岡氏が抱いた程度の疑問は当然取材者も思いついていて、ちゃんと疑問を解決してから記事にしているわけです。これは「百人斬り」競争に関心を持った人間にはよく知られていることですが、それを知らずにこのようなかたちで引き合いに出すのも「初歩的な誤り」と言うべきではないのでしょうか?