朝日新聞「昭和史再訪」(追記あり)

朝日新聞の毎土曜日夕刊に掲載されているシリーズ「昭和史再訪」、10月10日分は南京事件を取り上げている。専門家のコメントとしては加藤陽子氏のものが。現役兵中心の部隊が対ソ戦をにらんで温存され予備役、後備役の兵が多く召集されたこと、重い背嚢を担いで食糧を略奪に頼る行軍、いつ戦いが終わるのか見当がつかない状況・・・などを指摘し、次のように結んでいる。

極限状況に置かれた人間の心理が南京での残虐行為の背景となった可能性があります。今後の大きな研究課題でしょう。

しかし、加藤氏が指摘していることはすべて、例えば今から20年以上も前の1986年に出版された吉田裕氏の『天皇の軍隊と南京事件』(青木書店)で指摘されていることばかりだ。そんなことがいまさら「今後の大きな研究課題」だとされてしまうのはおかしくはないか?


全体として特に目新しいところはないが、使い古された否定論を飽きもせず繰り返すメディアがある以上、あたりまえのことを倦むことなく繰り返すこともまた必要なのだろう。


追記:上記部分を書いている段階ではかなり麻酔が効いていたので、以下翌朝(11日)の追記。
加藤氏が「今後の大きな研究課題」としたことに噛みついたわけだけれども、いちおう当該部分をきちんと引用しておこう。(1)、(2)・・・の番号は後の便宜のため引用者が付したもの。

 では、苦しみながら上海で激戦を制し、南京に向かった日本兵はどんな人たちだったか。(1)1回目の徴兵を終え、家族や仕事がありながらまた召集された予備役や後備役の兵士が約7割を占めていました。若くて20歳代後半。(2)軍中央は、より若い兵からなる屈強部隊をソ連との戦闘用に温存し、弱いとみた中国との戦線には「老兵」といっていい彼らを投入したのです。
 (3)「南京一番乗り」を競わされた兵士たちは(4)重い背のうのまま毎日数十キロ歩きました。(5)食糧は中国人から略奪。(6)戦いが一体いつ終わるのか分からないまま、(7)倒れる戦友を目の当たりにする・・・・・・。(8)極限状況に置かれた人間の心理が南京での残虐行為の背景になった可能性があります。今後の大きな研究課題でしょう。

(1)〜(8)について、南京事件の代表的な概説書3冊に関連する記述があるかどうか検証してみる。

(1)秦65頁〜、藤原13頁、83頁〜、笠原62-65頁、72頁
(2)秦62頁、藤原12-13頁、85頁〜、笠原57-58頁
(3)藤原25頁、笠原69頁〜
(4)秦75頁
(5)秦218頁、220頁、藤原20頁〜、109頁〜、笠原64頁
(6)秦217頁、219頁、藤原116頁〜、笠原72頁
(7)秦67頁、116頁、藤原14頁、18-19頁、笠原175-176頁
「関連する記述があるかどうか」の判定は「関連」を厳格にとるか緩やかにとるかによって変わってくる。例えば(4)の秦75頁は背嚢の重さには言及しておらず「さすがに幕僚会議では、兵士の多くが軍靴を持たず、地下足袋姿なので追撃は無理ではないか、という声も出たが」という記述があるのをカウントしている(新書レベルの概説書で機械化の遅れによる行軍の負担を詳しく指摘したものとしては、吉田裕、『日本の軍隊』、岩波新書、2002年、がある)。反対に、3冊をはじめから通して読み直してみたわけではなくざっと目についたところを拾い出しただけなので、丁寧にみてゆけばさらに増えるところもあろう。ともあれ、古いもので20年以上前、新しいものでも10年以上前に書かれた一般向けの概説書を読むだけでも、読者は(8)に近い結論に至ることができるわけである(秦219頁〜では早尾予備軍医中尉の報告書「戦場神経症並ニ犯罪ニ就テ」も紹介されている。なお、(1)については藤原83頁〜が具体的な数字も挙げており、非常に詳しい)。より専門的な文献、南京事件に特化していない分析なども総合すれば(8)は通説的な理解となって久しい、と言ってよいと思う*1。そして、そのことを知らない加藤氏でもあるまい。
では、なぜいまさら「今後の大きな研究課題」であるなどと言われてしまうのか? 限られたスペースの中で文章をまとめねばならなかったので、ついクリーシェで逃げたということか? だとしたら先行研究者に失礼なはなしだ。それとも、従来の研究にまだまだ不備があるという見解を持っているということか? そうだとすればどのような視点からの研究が必要なのか、あるいはどのような資料の検討が必要だというのか、何らかの機会に明らかにしてもらいたいものである。

*1:ぶっちゃけて言えば、(1)〜(8)はこれまでに刊行されている文献を参考にすれば私でも書けることでしかない。