問題は軍事的合理性が「あるか/ないか」ではない

私自身はモジモジさんとは違って「普天間基地県内移設に合理性は皆無」と言うつもりはないんですよ。なんせアメリカ側が「県内移設で」と言ってるわけだから、最低限「別に移設先は沖縄県内でかまわない」という程度の軍事的合理性はあると言うことは可能だろう、と。ある特定のシナリオを想定した場合に、ある部隊がある基地に駐留していると合理的かも、ってことまで別に認めたってかまわないんですよ。私にとって問題なのは(1)そのシナリオなるものが現時点でどれほどの蓋然性をもっていて、(2)またそのシナリオにおける有事なるものは事前にある程度予見可能なのか、それともまったくの不意打ちをくらうおそれがあるはなしなのか*1、という2点を踏まえ、そのうえでなお(3)沖縄(琉球)が日本に編入された経緯から皇民化教育による同化の強制やらにもかかわらずの差別やら、本土決戦のための捨て石にされたことやら戦後は戦後で人身御供にされたこと、そして「復帰」後も今に至るまで基地負担を不均衡に負わされてきたこと、これらすべての歴史的政治的ファクターを越えるだけの「軍事的合理性」があるんですか? ってことだから。(1)〜(3)のすべてを無視するなら「普天間基地県内移設に合理性はないとは言えない」のだとしても、(1)〜(3)のすべてを無視した議論なんざゴミですから。

*1:完全な不意打ち、半日とか一日のタイムラグが致命的になるほどの不意打ちをくらいというのは軍事的敗北というより、外交およびインテリジェンスにおける敗北と言うべきだろう。そんな事態に備えるために優先させるべきは軍事的合理性ではなく、外交的な合理性だろう。