もう1つのクリーシェ

 日韓併合条約が発効した1910年は、帝国主義の時代だった。当時の日本の行為を現在の基準で断罪することは、歴史に対する冒涜だ。この観点からするならば、

政治的・軍事的背景の下、当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって

という評価については、異論がある。大韓帝国にも日韓併合を望んだ政治エリートがいたからだ。
(http://news.livedoor.com/article/detail/4938861/)

強調は引用者。仮に「大韓帝国にも日韓併合を望んだ政治エリートがいた」としたところで別に植民地支配が「当時の韓国の人々」の「意に反して行われた」ことを否定する根拠にはまるでならないわけだが、ここでは強調部分のクリーシェについて。
植民地支配を合理化・正当化する論法が当時においては(現在と比べて)まかり通っていたことはその通りだとして、では「当時」においては“植民地化されてもオッケー”という「基準」が成立していたのか? むしろ「当時の日本」は自らの行為を「列強に植民地支配されないため」として正当化していたのではないのか? 「当時」の「基準」に照らしても植民地支配を受ける側にとって植民地支配は不当なものだったのである。