さらにもう1つのクリーシェ

首相談話をめぐって登場した3つ目のクリーシェは言わずと知れた「いつまで(何回)謝罪すればいいのか!?」である。それこそ「いつまで『いつまで謝罪すればいいのか』と聞かされればいいのか!?」という気分だが。この種のクリーシェを口にする人びとは日本政府の謝罪については記憶しているくせに、その謝罪とセットで時の与党(ってことは事実上自民党のことだが)や政府内から謝罪を台無しにする発言が出てきたことは思い出さないらしい。例えばのはなし、オバマが原爆投下について「遺憾の念」を表明したとしても、アメリカ空軍のトップが「放射線障害で人は死なない。広島原爆で死んだのは7万人だけ」と発言してみたり、有力大学の文学研究者や教育学者、あるいは偽日本人の評論家が「日本は原爆投下がなければ絶対に降伏しなかった」と吹聴して回ったり、国務長官が「原爆投下によって多くの日本人の命も救われた」などと発言したとすれば、「やっぱりアメリカ人は原爆の使用について謝罪する気なんてないんだ」と思うのは当然だろう。「いつまで謝罪すればいいのか」と思うなら、まずは歴史修正主義者を黙らせる努力(例えば「植民地支配にもいい側面はあった」だの「南京大虐殺はなかった」だのと口にした議員はことごとく次の選挙で落選させる、など)をするべきなのであって、安倍晋三を首相にしてしまったり、石原慎太郎を首都の知事にしてしまっていることの意味を噛み締めるべきである。