補足

昨日は「収容者(戦犯容疑者)たちが自白に至るまでの過程を「洗脳」と呼ぶことは、この語に右派がこめている悪意を排除するという条件付きで可能である」と書いたけど、そしてそれを撤回するつもりはないけれど、これはもちろん積極的に「洗脳」として認識しようという主張ではない。虚偽自白についていくつものエントリを書いてきた者としては、拷問がなかったから・人道的に処遇されたから任意性と信用性のある自白だ、という論法で右派の誹謗に対抗するのは危ういと思わざるを得ないので、「洗脳」と共通する側面についてはきちんと認識したうえで相違を明確にしてゆくべきだろう、という趣旨。
さてその「相違」についてだが、たまたま同じ昨日にアップされていた sumita-m さんのエントリ「ブラックとカルト」で紹介されている“ライフ・ヒストリーへの統合可能性/不可能性”という概念は示唆に富んでいるかも。この概念を借りるなら、中帰連のメンバーにとって「認罪教育」の過程と結果はライフ・ヒストリーへ統合可能なものだったということになる。
ところで、念のため Wikipedia で「洗脳」の項目を見てみたんだけど、まあこの種のトピックにありがちなように好き勝手書いてますな。驚くべきことに「参考文献」が『明鏡国語辞典』だけ! リフトンの本すらあがってない。名前には言及があるけど。英語版 Wikipedia の "Robert Jay Lifton" とか "Mind control" (Redirected from Brainwashing) の項すら参照した節がない(いずれにも「洗脳」の効果が一時的であるというのがリフトンらの見解であることが書いてある)。この、根拠もあげずに好き勝手なことを書けてしまう心理ってのはどうなってんのやら。