わかってないなぁ……

@WARE_bluefield リフレと関係ないでしょ?リフレをよしとしている人の文言を切り取って、こういう言質ができるなら、いわゆる左翼?の経済認識のダメさを切り取って「人権とかいいながら」って言い換えられるでしょ?ってことです。うちの批判は「党派性はない」なので。
(http://twitter.com/kuroseventeen/status/21759784435)

これは典型的な「歴史修正主義と単なる誤った主張の区別がつかない」事例ですな。
例えば進化論を例にとるとして、ある政治家が断続平衡説を信奉しているからといって「お前はあんな奴と手を組むのか!」などと批判するのは(ちょっと想像し難い例外的なケースをのぞけば)まるで無意味でしょう。ではラマルキズムを信奉している政治家ならどうか? これはまあ、文科相とか厚労相とか環境相とかにはしたくないし、自分の選挙区で立候補していて他に投票可能な候補がいるなら投票を回避するだろうけど*1、だからといってデフレ脱却のために手が組めないわけではない。しかし、これが社会ダーヴィニズムの復権を公然と主張する政治家だったり、インテリジェント・デザイン説を信奉する政治家だったらどうか?
ラマルキズムにコミットしていることは(進化論についての理解が重要な意味をもつ政策が絡んでいるケースでない限り)ひとまず「それはそれ、これはこれ」として切り分けることができなくもない。正確に言えば、私自身はよほどのことがない限り切り分けないだろうが、他人が切り分けないことを批判しようとまでは思わない。だが社会ダーヴィニズムやインテリジェント・デザイン説については事情が異なる。
なぜか? それはインテリジェント・デザイン説と南京事件否定論とは単に「学問的には間違った認識」であるというだけではなく、いずれも自らが非学問的な主張であることを承知しつつ展開されている政治的なプロパガンダであるからだ。インテリジェント・デザイン説が創造説の看板をかけかえたものにすぎないことは、末端の信者は別としてその主導者ならもちろん自覚していることだ。彼らの主張の根拠が自然科学の標準的な手続きに根ざすものではなく、聖書に由来するものであることは彼らもよく承知していて、ただ教育現場に浸透するための政治的な方便として新しい看板を掲げているにすぎない。同様に、南京事件否定論も政治的なプロパガンダなのであって、家永訴訟以前には歴史教科書から南京事件に関する記述を追放するだけの政治的影響力を発揮していたし、今日においても南京事件否定論者と大きく重なる人脈が沖縄戦における「集団自決」についての歴史教科書に関する記述を後退させるだけの影響力を発揮しているのである。
第二に、“単に学問的に間違っている”だけの主張と、その主張自体が人権意識の欠如と結びついているようなものとを同一視することはできない。前者は“頭が悪い”問題だが後者は“魂が悪い”問題だからだ。南京事件否定論にもいくつかのヴァージョンがあるが、そのうちの一つは「戦争中なのだから捕虜を殺すのは仕方ない、ゆえに捕虜の殺害は虐殺ではない」という論法を用いている。このような主張は歴史学的に間違っているのではなく倫理的に間違っているのであるし、「戦争なんだから捕虜は殺してもよい」と主張する者と手を組むことは、「戦争なんだから捕虜は殺してもよい」という論法から帰結するような政策にも加担することになる。社会ダーヴィニズムを今日主張することは科学的な誤りという以前に倫理的な間違いであるのと同じことだ。
第三に、二点目と関連することだが、「間違った認識を持つこと」と「シニシズムの表現」とは区別されねばならない。結果として失業を増やしてしまうような経済政策を誤って主張してしまうことと、「このまま不況が続いて失業者が増え、自殺者が増えれば自分にとって有利な政治的状況が現出する(ゆえに不況は大歓迎)」と公言することとははっきり区別されねばならない。前者に対して“頭が悪い”と批判することは妥当だが、「助かるはずの命を見殺しにしようとしている」と非難しても意味がない。対立は「助けるべきかどうか?」ではなく「どうすれば助けることができるか?」という水準で生じているのだから。しかしながら「謝罪外交? それ喰えるの?」的発言歴史認識に関する学問的な間違いであるよりも、むしろ「謝罪」という政治的行為についてのシニカルな価値判断なのである。植民地支配のように人間の尊厳に関わる問題についてこのようなシニシズムダダ漏れにする者が「私を信じてくれれば死ぬはずの人びとを助けることができるのです!」と主張してもそれを信用しない人間がいるのは当たり前のことであって、その不信に対して「俺たちを信じない奴らは失業者を見殺しにするつもりだ!」などと反応するのは的外れもいいところ。

*1:というのも、今日においてラマルキズムを支持しちゃうからには、情報の取捨選択に少なからぬ問題がある可能性が高いから。