「なぜ助けたのか?」という問い

先月末に放映されたETV特集シンドラーユダヤ人〜ホロコーストの時代とその後〜」に登場する生存者の一人は、「なぜシンドラーユダヤ人を助けたと思いますか?」という質問に対し、私はそんなことは尋ねるなと言うことにしている、「なぜ?」と問われると不快になる、という印象深い答えを返していた*1。その意味するところを彼自身が明示的に語っているわけではないのだが、次のような解釈が頭に浮かんだ。
あの時代においてユダヤ人を助けることは、彼らを見捨てたりあるいは積極的に殺害に加担することに比べれば遥かに困難なことであったから、「なぜ助けたのか?」という問いが出てくるのは当然のことに思える。だがその問いは、本来問われるべき「なぜ助けなかったのか?」という問いを背景に退けてしまいかねない。彼らが助けられることに理由など必要なかったはずであるにもかかわらず。

*1:このやり取りは、上記番組の短縮版である「ホロコーストを生きのびて〜シンドラーユダヤ人 真実の物語〜」でも使われていた。