国境を越える想像力

先日紹介した朝日新聞夕刊の連載「ニッポン 人・脈・記」の「語り継ぐ戦場」第3回は陳輝という若者が抗日戦争の間に書いた詩を紹介している。

 題は「ひとりの日本兵」。
 〈ひとりの日本兵が/晋察冀の原野で息をひきとっていった。〉
 詩はそう書き出される。
「晋察冀」は陳輝が活動した山西(晋)、チャハル(察)、河北(冀)各省の別名だ。
 〈彼の眼窩には/赤黒い血が凝固し、/あふれるばかりの涙を凍らせ/悲しみを氷結させていた。(略)ふたりの農夫が、鍬を担いで、/やって来て、/彼を華北の岡の上に埋葬した。(略)中国の雪は音もなく、/彼の墳墓の上に降りていた。〉
 〈このうら淋しい夜中、/とおい海をへだてた故郷の寒村で、/腰の曲がった老婆が、まだらな白髪を垂らして、/いっしんにはるかな戦地の息子の無事を祈っているにちがいない……〉(秋吉編訳「精選中国現代詩集」から)
 陳輝はこの詩を40年2月12日夜に書いた。日本軍との戦争のさなか、詩人は、しかばねとなった日本兵の故郷の母を想った。その想像力は敵味方の別を超え、国境を超えていた。
朝日新聞、11月20日土曜日、夕刊。原文のルビを省略)

これを読んで連想したのは、例えば次のようなものです。

 (……)弟が話してくれたことがある。わが街をドイツ軍の捕虜の列が通って行った時のことだ。弟は他の少年たちと一緒に捕虜をパチンコで撃ったんだ。それを見た母は弟に平手打ちを食らわせた。捕虜はヒットラーが最後の兵力としてとりたてた、年端もいかない少年兵たちだった。弟は七歳だったが、母がこのドイツ兵たちを見て泣いていたのを覚えているんだ。『あんたたちみたいな子供を戦争に出すなんて、おっかさんの眼がつぶれればいい』(……)
(スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチ、『戦争は女の顔をしていない』、群像社、112ページ)

「わたしが今日あなたのところに来て、小屋で見たこと、思っていることを全部話したのは、あのGIの母親に、彼女の息子はひとりで死んだのではないと伝えてもらいたかったからだ。彼女はそのことを知りたいと思うだろう。こう言ってあげてほしい。彼女がそばにいてやれないそのとき、わたしが、ひとりの母親が、彼女の息子の手を握っていたと。彼女のためにそうしてやれてうれしかったと。彼はひとりで死んだのではないと」
(デイヴィッド・K・ハーフォード、『ヴェトナム戦場の殺人』、扶桑社ミステリー、
153ページ)

ジェンダーに関する本質主義に陥るリスクを承知しつつも、やはり敵味方を超えた想像力の起点になるのは「父」よりも「母」なのだろうか、と感じます。