「関東軍が未払い明文化」報道について

このエントリの続き。朝日の報道への反応(例えばこことかこことかこことか)を見ていると「そういえば朝日の報道も、事情を知らない人にとっては不親切といえば不親切かも」とも思ったので、昨日のエントリへの追記部分を敷衍しておく。
まず1月8日の朝日の報道に欠けているのは、日中戦争における陸軍*1の「捕虜政策」、というより捕虜政策の欠如の解説である。1937年に日中双方とも宣戦布告をしないまま実質上の戦争状態に突入した後、1941年12月の日本の対英米開戦を受けて中国は日本に宣戦布告を行なう。日本側も1937年に遡って「大東亜戦争」と呼称するようになったわけだが、他方で当時の日本は国民党政府を否認し、(報道された文書が作成された43年の時点では)汪兆銘(精衛)の南京政権を「中国を代表する政権」と見なしていたわけで、日本側の主観によれば日中間に法的な戦争状態はなかったことになる。それゆえ、陸軍は中国軍の捕虜を法的には捕虜(当時の日本軍の用語では俘虜)としてはあつかわなかった。内海愛子の『日本軍の捕虜政策』(青木書店)から引用しておく(128頁以降)。原文の脚注は省略した。

 海軍の方針は、陸軍とも「協議済」というが、当の陸軍は方針を明確にしていない。「支那事変」当時、参謀本部第一部第三課長として捕虜を扱う政策に携わっていた武藤章は、東京裁判に提出した尋問調書(一九四六年四月一六日)で次のように回答している。

中国人デ捕ラヘラレタ者ヲ俘虜トシテ宣言スルカ否カノ問題ハ全ク問題デアリマシタ。ソシテ一九三八年(昭和十三年)ニ遂ニ、中国ノ戦争ハ公ニ「事変」トシテ知ラレテヰマスノデ、中国人ノ捕ラヘラレタ者ハ俘虜トシテ取扱ハレナイトイフ事ガ決定サレマシタ、乍ラ、此ノ度、モシ宣戦ガアレバ、全テノ捕ヘラレテイタ者ハ捕虜トシテ取扱ワレルコトニナリマシタ

 中国兵を捕虜として取り扱わない方針を実行した武藤によると、「総ベテ汪精衛下ノ南京政府ニ寄リ取扱ハレタ。南京政府樹立前ニハ此等ノ事柄ハ華中及ビ華北ニアル中国(傀儡)政府ニ依リ取扱ハレタ」と述べている。武藤は、捕虜が何人あったのか報告を受けておらず、新聞で読んだにすぎないという。また、捕虜は、南京政府の軍に編入されたため、日本による捕虜収容所はなかった。捕虜と見なされなかった中国人については、「ソノ区別ガ何ダカ込ミ入ツテ」いた。武藤は、一度彼らが武器を捨てて降伏すれば「普通ノ市民」として扱われ、「中国軍ニ引渡サレタト感ジマシタ」と述べている。「捕ラヘラレタ者」を捕虜として扱わないとの方針だった。

内海はこの後、「作戦部隊による軍令系統」の捕虜と「国際法に則って陸軍大臣が設置した捕虜収容所で管理する軍政系統」の捕虜とを区別し、日中戦争では日本軍にとって後者の意味での捕虜は存在しなかったことになる、としている。
これが意味するところは重大である。つまり、事実上の捕虜といえどもこれを使役する場合、国際法上の捕虜取り扱い規定を満たすだけでは(日本軍の主観にとっては)十分ではない、「普通ノ市民」なのだから普通の労働者として扱わなければ筋が通らない、ということである。問題の関東軍文書でも「捕虜」ではなく「特殊工人」の「取扱規程」、とされていたことを想起されたい。ハーグ陸戦規定では捕虜の賃金は解放時に(経費を差し引いて)支給することが認められているといっても、それは日本軍が中国人捕虜を法的に捕虜として扱っていればこそのはなしである。法的には捕虜として扱っていなかったのであるから、ハーグ陸戦規定は言い訳にならず、「部隊で管理して後で清算」はタコ部屋方式であると言われてもしかたがない。そして捕虜ではなく「普通ノ市民」なのであれば、それを国外(満州は当時日本の主観にとっては中国とは別の国家であった)まで連行しタコ部屋労働を課したことに日本軍(関東軍)が関与したことは、同じことを日本の民間業者が行なった場合とは異なる問題を当然提起することになる。


もっとも、中国人捕虜は事実上捕虜だったのだから、ハーグ陸戦規定に則って処遇していれば連合国側も文句は言わなかっただろう、とは考えられる。だからこそ朝日の報道(および内海愛子のコメント)にあるように「表向きは「国際条約を守っている」という主張も可能な表現を」とった文書、なのである。したがって、次に問題にされるべきは取扱規程の運用実態が国際法の求める基準にかなっていたかどうかである。すなわち、賃金や経費の算定が妥当であったかどうか、きちんとした支払い実績があったかどうか、労働内容が過酷なものではなかったかどうか、賃金を支払わない場合にも労働証明書の交付があったかどうか、など。そして、同日の三面に掲載された「関東軍文書 過酷労働明るみに」という記事が(十分に立証したとは言えないまでも)示唆しているのは、国際法に則った会計処理はなされていなかったのではないか、という疑惑なのである。同記事では中国側の証言集を翻訳した研究者の談として、「軍管理下の現場での証言延べ37件では賃金が出たとする記述はゼロだったという」などとされている。


余談だが、『日本軍の捕虜政策』はA5版で索引、年表等を除いても660頁ある大著である。時間的には日清戦争から敗戦までをカヴァーしているとはいえ、「日本軍の捕虜政策」というたった一つのイシューを扱っていてさえこれほどの大著になり得、しかも本書だけで「日本軍の捕虜政策」が論じ尽くされているというわけではもちろんない。これが歴史学(というよりアカデミックな学問)というものである。「小林よしのり読め」などと“説教”しにきた人間は恥じ入るように。


追記:トラックバック送って来るからにはこっちのエントリ読んで反論しているのかと思ったら違うじゃん。ニワトリ並みはどっち?

*1:ここでは詳述しないが、陸軍と海軍では方針が違っていた。