松井石根の“日中親善主義”なるもの

最近は文春新書の新刊のチェックなども怠りがちだったのですが、情報提供をいただいて7月にはこんな駄本が出ていたことを知りました。

古本屋で見かけたら購入するつもりです。立ち読みしてみるまでもなく帯の「昭和史のタブーに挑む問題作」やら「ついに明らかになる南京戦の全貌」という文句がすでに志の貧しさを物語っています。まあそれでもいちおう目次を始めごく簡単に立ち読みはしてみました。松井の「日中親善主義」だのなんだのが繰り返し強調されているようです。しかし松井の日中戦争認識たるや、次のような代物でした。

 抑も日支両国の闘争は所謂「亜細亜の一家」内に於ける兄弟喧嘩にして、日本が当時、武力に依つて支那に於ける日本人の救援、危機に陥れる権益を擁護するは、真に巳むを得ざる防衛的方便たるは論を俟たず。恰も一家内の兄が忍びに忍び抜いても猶且つ乱暴を止めざる弟を打擲するに均しく、其の之を悪むが為にあらず、可愛さ余つての反省を促す手段たるべきことは、予は年来の信念にして、(……)
(洞富雄編、『日中戦争南京大虐殺資料集 第1巻 極東国際軍事裁判関係資料編』、青木書店、274ページ)

実に気持ち悪い文章ですが、さらに驚くべきは、出典でお分かりの通りこれは東京裁判で読み上げられた松井の口述書、それも弁護側の証拠として朗読された口述書にある一節だということです。中国を含む連合国に対して日本の戦争を正当化せんとして出てきた言葉がこれである、という恐ろしいほどの自己中心性。そして、こんなものを「日中親善主義」などと無批判に評しうる人間の認識もまた、推して知るべしというものです。