「原爆投下 活かされなかった極秘情報」と堀栄三の回想

6日に放送されたNHKスペシャル「原爆投下 活かされなかった極秘情報」で紹介されていたことのかなりの部分は、番組中にも登場する堀栄三の回想記、『大本営参謀の情報戦記 情報なき国家の悲劇』(文春文庫)でも語られている。B29が発する電文のコールサインを分析し、V600番台のコールサインをもつ小規模な部隊の出現を察知していたこと(254ページ)、特種情報部ではこの部隊のB29を「特殊任務機」と呼んでいたこと(256ページ)、8月6日にも特殊任務機からワシントンへの通信と硫黄島への無線電話をキャッチしていたこと(257ページ)、それに先立つニューメキシコでの核実験についても外国通信社の記事を把握していたこと(同所)、敗戦後に特種情報部が徹底した証拠隠滅を図ったこと(276ページ)などである。堀は「原爆投下を、たとえ半日でも前に情報的に見抜けなかったことは、情報部の完敗」であるとし「広島、長崎市民の犠牲に何ともお詫びの言葉もなく」と述べる(259ページ)。他方で、特種情報部の元中佐が「広島、長崎に投下した原爆機を探知し、参謀総長から賞詞を授与された」と戦後の手記で述べていることについて、「参謀総長から賞詞を授与されたことは事実であったが、『原爆機を探知し』というのはいささか言い過ぎである」とも述べている(250ページ)。
だがここで問題なのは、堀が長崎への原爆投下に関してはなにも書いていない点である(番組でも、堀は長崎についてほとんど語っていない、としていた)。広島の時には、特殊任務機と原爆とを決定的に結びつけられなかったことについて弁明の余地はあるかもしれないが、長崎についてはそうはいかないからである。長崎は広島の単なる繰り返しではない。堀は7日のトルーマンの発表で「確実に原爆」と確認した、と回想しているし、番組によれば特種情報部への賞詞は8日に下されている。番組に登場した特種情報部の元部員は、その日に参謀本部の人間が“同じ符号の機がまた飛来したら追跡して撃滅する”という趣旨のことを語ったと証言していた。そして9日も原爆機の飛来を察知することには成功していたのである。軍の責任が決定的なものとなる点については、堀も筆を鈍らせたと評すべきであろう。