「歴史認識の溝」とはなにか?
昨日、今日は野田首相の訪中が予定されていたのですが、およそ一週間前の7日に延期されることが発表されました。
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野田総理大臣は、来週12日と13日の2日間、就任後初めて中国を訪れ、胡錦涛国家主席らと会談する方向で調整していましたが、中国側から訪問を延期できないかという打診があり、日中両政府が協議した結果、訪問を延期することになりました。延期の背景について政府関係者は、12月13日が、日中戦争中に中国の南京で、日本軍が市民を殺害したり、暴行や略奪を行ったりしたとされる「南京事件」から74年に当たるため、野田総理大臣の訪問がこの日と重なることで、中国国内の反日感情が高まりをみせるのを避けたいという中国指導部の意向があったのではないかとみています。政府は、野田総理大臣の中国訪問を、年内に実現させる方向で日程を再調整する方針ですが、ほぼ固まっていた総理大臣の外国訪問の日程が延期されるのは異例のことで、歴史問題を巡る日中の溝の根深さが改めて浮き彫りになりました。政府は、日中国交正常化40年となる来年、両国の戦略的互恵関係を深化させたいとしていますが、関係の改善にあたっては、こうした歴史問題をはじめ、両国の国民感情の改善が課題になりそうです。
(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111207/k10014457271000.html)
今月12、13日に予定していた野田佳彦首相の中国訪問が延期されたことについて、中国外務省幹部は7日、「いろいろな理由があった」と述べた。日程が旧日本軍による「南京占領」の日付と重なるため反日感情が盛り上がる可能性に配慮したとの見方を否定しなかった。北京市内で記者団の質問に答えた。
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(http://sankei.jp.msn.com/world/news/111207/chn11120719360002-n1.htm)
いったい12月の「12日と13日」という日程を考えたのはどこのバカモノなのでしょうか? 中国側からの提案ではなく日本側からの提案であったとすれば、これは「歴史問題を巡る日中の溝」などといったケッコウなものではなく、外交担当者がごくごく基本的な知識をもちあわせていないということを意味します。 アメリカの大統領が8月6日に来日するとか、ロシアの大統領なり首相が8月9日に来日するようなことがあれば、原爆の投下や対日参戦についてメッセージを発することは当然期待されますし、国内世論に配慮して原爆投下や対日参戦の正当性だけを強調するようなメッセージしか発することができないのであれば、そもそもそんな来日日程は組まないでしょう。
中国外務省幹部は日程変更と南京事件との関係を「否定しなかった」と産経は報じていますが、逆に言えば明示的に名指しすることは避けるという配慮を示したわけです。これに対して野田政権にはどんなジェスチャーが可能なんでしょうか? なに一つ考えはない、というのが実情ではないかと思います。NHKはしれっと「こうした歴史問題をはじめ、両国の国民感情の改善が課題」だとしていますが、仮にも国営放送が「市民を殺害したり、暴行や略奪を行ったりしたとされる」などと、虐殺等の存在にコミットしない語法を用いて歴史修正主義者に配慮している限り、「両国の国民感情の改善」などおぼつかない、と言わざるを得ません。こうした語法、あるいは字数の大半を「犠牲者数について諸説ある」ことの説明に費やしてしまった朝日新聞の用語解説などがまかり通っていることこそがまさに「溝」なのだ、ということをメディア関係者には自覚してもらいたいものです。加害者がまずは加害事実の存在について(細かなことは後回しにして)きっぱりと認めること抜きに「関係の改善」なんてできるはずがないことは自明の理なのですから。