【感想】3月4日放送分「証言記録 兵士たちの戦争」

さる3月4日に2本続けて放送された「証言記録 兵士たちの戦争」シリーズ、「フィリピン・ルソン島 補給なき永久抗戦 〜陸軍第23師団〜」、「台湾先住民“高砂族”の戦争」について。
フィリピン戦線は日本軍が最も多くの戦病死者(餓死者を含む)を出した戦線の一つで、この第23師団も補充された将兵を含む約3万人のうち、生きて復員したのは5千人ほどとされている。また番組中では触れられていなかったが、この師団はノモンハン事件でも大損害を出している。
きちんと数えたわけではなくこれまでシリーズを見てきての印象に過ぎないが、やはり大戦末期の戦いの証言者には元兵士だけでなく元将校も少なからずいて、斬り込み攻撃を命じた側と命じられた側の双方が紹介されているのが興味深い。


このシリーズでは以前に「朝鮮人皇軍兵士 遥かなる祖国」(10年3月27日)が、また「証言記録 市民たちの戦争」シリーズでは「“朝鮮人軍夫”の沖縄戦」(11年2月27日)が放送されているが、台湾先住民の元軍人・軍属が今回とりあげられている。いつも通り約45分の尺だが、戦争体験・植民地支配体験の受けとめ方が一人一人(あるいは出身民族により)異なる、あるいは一人の人の中でも単純ではないことへの想像力を喚起する内容になっていたと思う。証言の合間に、霧社事件を機に軍が台湾先住民に目をつけたこと、太平洋戦争ではジャングル戦の才能を買われたことなど、背景事情が解説される。
彼らの生きてきた時代を端的に象徴するのが、証言者たちの3つの名前。「3回も名前変わった」と笑うのはアミ族のウナク・ラランさん。日本名は伊藤貞夫、中国名は蔡慶隆。ただし彼は「さいけいりゅう」と取材陣に説明したので、数え方によっては4つの名前があるとも言いうる。日本人の農業指導員がやってきて(霧社事件以降の植民地政策の変化による)、農業生産高が上がったことを回想し、知り合いの特攻隊員を見送った思い出に涙し、元戦友と一緒に「軍艦マーチ」を唄う(海軍志願兵)。


植民地支配と戦時動員へのより厳しい視線を代表しているのがツォウ族*1のイウスム・ムキナナさん(向野政一・武義徳)。戦後、1950年に政治弾圧で逮捕され、75年まで獄中に。彼を獄に繋いだのはもちろん国民党政府だが、その25年間に考えたことを次のように語る。「もう少し戦争が長かったら 完全に ツォウ族の文化は破壊されてしまう」「たくさんの若い者が犠牲になった/これは全部 全部日本の利益じゃないか 統治者の利益に」「僕らみたいな いわゆる下積み階級だな/これ皆使われるんです 日本人でも同じよ」「一般の青年にこういうことを聞いたらわかるか? わからないよ」……最後には「あまり率直な言い方ごめんなさい 失礼」と取材陣を気遣い、「皆が来てくれてたくさんのこと聞いて 昔のことを思い出すと……謝々、ありがとう」、と。取材スタッフは「なぜもっと早く聞きに行かなかったのだろう」と思ったのではないだろうか。


彼がもう一つ、取材陣に「話していいかな」と断りながら語ったのが、「バターン死の行進」について。バターンでの勝利に高砂挺身報国隊が貢献したことを語った後で、「ああいう残酷な場面を見たことがない」「歩けなかったら斬る 突き殺す」「(………)捕虜を 相当頭斬り 日本人が頭 斬った」、と。最後にぼそりと「僕らも少し殺したけど」と付け加える。


一人の人間の中にアンビヴァレントな感情がある、ということを代表しているかのようなのがピューマ族のハパープリン・クラサイさん(岡田耕治・陳徳儀)。高砂義勇隊の一員として南太平洋戦線に従軍(彼が日本語で書いた回想記の表紙から判断するとモロタイ島などで闘ったようだ)。自らの勇猛な戦いを振り返ると同時に、出征前に学校教員をしていた自分が差別された体験を語る。「校長先生から「この馬鹿野郎 蕃人」」「「蕃人 生蕃」という言葉は 聞いただけでもこの日本人を殺したい」「日本人も一視同仁といってもやはりこの「馬鹿野郎」が直らない」……。また、父親が日本人だった(婚外子)ことによる差別も軍に志願した動機の一つだ、と。「兵長に上がって軍服つけて帰ってきた/日本人は「おいおい岡田君 兵長にもなったのか」」 当時の日本で(当時の日本に限ったことではないだろうが)、軍がマイノリティにとって社会的上昇のための魅力的な手段に見えたことがよくわかる。だから彼は、“高砂族”の生徒の前で「兵隊になってくれ」と講演したという。そうすれば「“蕃人”という言葉は無くなるだろう」、と。
蒋介石政権下での苦難を語り、「日本から何の補償もない かわいそうよ」と言うと同時に「私はそんなもの〔=補償〕いらない 私は喜んで兵隊に行ったんだから」、25歳まで皇民化教育を受けた自分は「日本人」だ、とも。しかし“蕃人”という言葉への激しい怒りを表明していた彼が、遊撃隊での戦いを振り返る際には「手榴弾を投げて 爆発と同時に蕃刀を持って………」という言葉を使ってしまうところに、思わず嘆息してしまった。皇民化教育がどれほどの屈折を強いたのか、と。


中心的な証言者は以上の3名。その他、イウスム・ムキナナさんの戦友たちやニューギニアに従軍した2名の証言者、また祖母が霧社事件での蜂起を目撃したという女性が登場。

*1:番組での解説によればツォウ族は狩猟民とのこと。