「人数の話がしたいだけ」について
最近似たようなケースがあったじゃないですか。そう、「原作からの改変を問題にしたいだけ」ってやつ。でもまあ、「南京大虐殺」とか「韓国」とかが今の日本でどのような言説空間に取り巻かれているかを無視してそんなこと言われても、到底鵜呑みにはできんわけです。
別にこれ、隠れたる内心を勘ぐってやろうとか、そういう話じゃないんですよ。「人数の話がしたいだけ」と言ってる人が他には一体どういうことに関心を示していて、どういうことには関心を示していないか。また、関心があるというのならそれなりのアプローチのしかたがあるってものですが、その人はどういう風にアプローチしようとしているのか。こういった振る舞いを通じて、「人数の話」は政治的な意味を帯びるのです。
なぜ他のなによりも「人数」が気になるんですか? 気になったとして、どんな本を読んできたんですか? 犠牲者数がはっきりしないことの大きな要因である、敗戦時の公文書隠滅について、あなたはこれまでどれほどのことを調べてきましたか? 三光作戦の犠牲者の数は気にならないんですか? 広島の原爆死没者名簿に記された人の数が28万人を超えていることについては関心がないんですか? ま、そういうことです。