簡単なこと

構造的な人権侵害のような不正義が社会に存在する時、それに対する国家の(そしてもちろん、市民の)態度は――責任が重くなってゆく順に並べて――次のような具合に類型化できるでしょう。


(1)不正義を解消すべく、適切な手だてを講じる努力を続けているのだが、解決には至っていない場合。
(2)無関心ゆえに、放置している場合。
(3)やる気はあるが誤った方策をとり、解決し損なったり事態を悪化させる場合。(2)と比べてどちらの責任が思いかは議論の余地があるでしょう。
(4)その不正義を消極的に容認している場合。
(5)その不正義を積極的に欲し、非公式に利用する場合。まあ(4)との境界線が曖昧なこともあるでしょうが。現在でいえば、原発労働にまつわる不正な労務管理などは、少なくとも(4)の類いじゃないでしょうか。


で、歴史修正主義者は旧軍の「慰安所」について、せいぜい(4)だという嘘をこの社会に浸透させようと努力をしてきました。残念ながらその努力は、一定程度成功していると言わざるをえませんが、しかし事実を変えることはできません。旧日本軍の「慰安所制度」は(5)を越えてその次のレベルに位置するものです。


(6)その不正義を積極的かつ公式に利用し、公的制度の中に組み込んだ。


したがって、他国の軍隊について(4)や(5)のレベルの不正義を指摘したところで、天秤は平行にはなってくれないのです。