「父を捜して オランダ日系2世の戦後69年」

今月の初めから、『朝日新聞』が日系2世オランダ人をとりあげた全3回の連載を掲載しています。日本軍がインドネシアを占領していた時代にオランダ人女性と日本人男性の間に生まれた人々です。

第1回では2011年に来日して初めて父と対面したヒロシ・デ・ウィンターさんが紹介されています。

 しかし、ヒロシさんのように、父や家族が会ってくれる例はごくまれだ。男性は言う。「『恥』という感覚なのでしょうか。でも、戦争で無理やり引き裂かれた彼らは、犠牲者だよね」

この「男性」とはヒロシさんの異母弟。彼もまた兄とは初めての対面でした。これまでに父親は約40名が判明しているとのことですが、「半数は親族に拒まれ、墓参も実現していない」とのこと。日本社会全体としても彼ら・彼女らの存在自体を忘却してきたわけです。なにかといえば「ライタイハン」を持ち出す右派が彼ら・彼女らのために一体何をしてきたでしょうか?
同じく第1回で紹介されているロブ・シプケンスさんの体験には、ちょっと気になる部分があります。

 行く先々で、いつも日本語で話しかけられた。外見が日本人だからだ。「異物」扱いされず、社会に溶け込んでいる感じが心地よかった。今は懸命に父親を捜す。父の姓は「カワバタ」。「たとえどんな悪人だったとしても、父を知りたい。それは自分のルーツだから。自分の半分の錨(いかり)が、そこにあるのだから」

彼が感じた心地よさは彼がオランダ社会でうけてきた差別あってのものですが、日本人らしい外見の彼に「社会に溶け込んでいる感じ」を与えるこの社会は、同時に日本人らしくない外見の人を「異物」扱いする社会ではないのか? ということも考えておくべきでしょう。