「仮埋葬」が物語る大量殺戮の本質

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 東京大空襲では一晩で約10万人が亡くなったとされる。都は空襲による死者数を約2万人と予想。一方、都の火葬場の能力は1日500体に過ぎず、棺(ひつぎ)は1万人分しかなかった。身元を確かめた上での火葬は不可能で、埋葬場所も足りず、公園や寺院が仮の埋葬地となった。軍や警察に加え、受刑者や星野さんのような少年もかり出された。
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 都が1953年に作った「東京都戦災誌」には、死者数として「10万」の数字がある。しかし、都が遺族からの申告でつくる「東京空襲犠牲者名簿」の登録人数は8万324人しかいない。名簿作りは99年に始まり、翌年には6万8072人分が集まった。一方、遺族の高齢化などから新たな登録人数は減少。昨年申請を受け付け、今年新たに登録された人は、初めて1年間で200人を切った。

 約2万人分の氏名がわからない要因の一つが、身元確認の不十分なまま行われた仮埋葬とみられる。戦災誌には「いつ迄(まで)も路上においておくことは当時の都民の士気にも関係することであったし、早急に人目にふれぬ処へ運んで了(しま)うことが必要であった」とある。
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南京事件の場合も、埋葬記録から犠牲者数を推定する際の問題点の一つとして、仮埋葬してから改葬された場合には二重に数えられている可能性があること、が指摘されています。なにぶん被害を記録する目的で作成された文書ではないからです。被害の規模を正確に推し量ることすら困難にするのが、大量殺戮の本質の一部だと言えましょう。
省略した箇所で語られている、仮埋葬時の遺体の扱い方もなかなか衝撃的です。丁寧に扱っていたのでは作業がはかどらないということでしょうが、大量殺戮はこういうかたちでも人間の尊厳を奪うのだ、ということがわかります。