2・26事件から80年

80年前の今日は2・26事件が勃発した日ですが、このクーデター未遂事件(ないしクーデターを利用したカウンタークーデター事件)は翌年の南京大虐殺にも影を落としています。
上海派遣軍〜中支那方面軍の司令官松井石根は予備役から復帰して就任しましたが、その背景には2・26後の皇道派のパージで(軍司令官になることのできる)陸軍中大将が不足していた事情があることを、日中戦争勃発当時に参謀本部で戦争指導課長だった河邊虎四郎が証言しています(『河邊虎四郎少将回想応答録』)。また第十軍の司令官だった柳川平助もこの粛軍で予備役に編入されていた皇道派の1人でしたが、松井石根は大谷敬二郎の『日本憲兵史』(みすず書房)所収の資料「陸軍派閥一覧表」では「初期統制派」と位置づけられ、皇道派とは「相互排撃」の関係にあるとされていました。軍司令官人事のうちにすでに軍紀崩壊の種がまかれていたと考えることができます。
さらに、日中戦争勃発時の外務大臣広田弘毅は2・26事件後に首相に就任、閣僚人事について軍の強い介入を受けるという経験をしています。