トリヴィアは所詮トリヴィア

ここでまとめられてる、先週私のTLにも流れてきた件。発端はこのツイート
まあこの手の人間にはなんでも「サヨクの陰謀!」「グンクツ脳!」に思えるのかもしれないけど、ちょっと考えれば「赤紙」が戦時動員の代名詞として記憶されるようになったことにはちゃんと理由があることがわかります。
第一に徴兵検査は平時でも行なわれていたわけで、徴兵検査をうけて現役で入営もしたけど戦争にはいかずにすんだ、というひともいるわけです。これに対して予備役や後備役が動員されるのは戦争になりそうなとき、すでに戦争になっている時なわけで、徴兵検査より「赤紙」の方が戦争の記憶として印象に強く残っても不思議ではない。戦争が始まる前に徴兵検査を受けていた世代にとって戦時動員=赤紙なんだから。平時編成から戦時編成に移行すると人員が倍くらいになるんですから、戦争になれば多数の予備役・後備役が動員されたわけです、実際。
第二に、予備役、後備役から招集されれば(当時の世相なら)妻も子どももいるケースも多かった。20歳で徴兵検査受けるときに妻も子どもも……というのは当時でも少数派だったはずで*1、「赤紙」で招集されたケースと徴兵検査→入営→そのまま戦地へのケースとでは、前者のほうがそれを記憶した妻と子どもがずっと多かったわけですよ。そうすると戦後になって「赤紙」の記憶が優位になってもぜんぜん不思議じゃない、と。

*1:アジア歴史資料センターの「第二回幹事会 東北六県人口統計摘要」レファレンスコード=A15060342500によれば、日中戦争前の1936年の時点で男性の平均初婚年齢は27歳を超えている。