真の「受忍論」へ

「ボーナスタイム」だった2月と3月、安倍政権や東京都がオリンピック、パラリンピック開催に執着したために無為に過ごしたせいで、ここへきて感染の拡大がすすんでいます。早くから「検査を拡大すると医療崩壊する」という主張が政権の対応を正当化してきた一方で、この二ヶ月間「医療崩壊」を防ぐための具体的な手立てがろくに講じられてこなかったという現実を前に、願望で現実認識を歪めた戦中の日本を想起したひとも少なくないようです。

現在焦点になっていることの一つは営業「自粛」に対する休業補償ですが、予想通り安倍政権は後ろ向きであり、東京都のように一定の支出を表明している自治体でも「協力金」という名目であって「補償」という用語は忌避されています。

理屈で言えば強制力のある休業命令ではなく「自粛要請」だから補償ではない、協力金だ、ということにはなるのでしょう。しかしこれは実は順序が逆であって、国や自治体の法的責任を明確にする「補償」を回避したいからこそ感染拡大予防の観点からは疑問符のつく「自粛要請」にとどめている……というのがこれまでの日本政府の態度から想像できる真相でしょう。

日本政府が国内の、民間の戦争被害に対する「補償」を徹底的に回避してきたことは当ブログの読者の方には周知の事実ですが、それを司法が追認するために持ち出したのがいわゆる「受忍論」、戦争被害は「国民のひとしく受忍しなければならなかったところであって、これに対する補償は憲法の全く予想しないところ」という論理です。本当に戦争被害を「国民」が「ひとしく」負担するのであれば、この論理にもうなずけるところはあります。しかし現実には階層や性別、地域、さらには単なる運不運により戦争被害の様相は様々でした。さらにいえば戦争被害は「国民」だけがうけるものでもありません。

同じことが新型コロナウイルス感染症についても言えます。事業が壊滅的な打撃をうける業種もあればある種の“特需”に湧く業種もある。テレワークに対応可能な職種もあればリスクのある対人接触を避けることのできない職種もある。戦争被害にせよ、パンデミックの被害にせよ、政府の不作為は「ひとしく」受任することを逆に不可能にするのであって、税金による補償や支援を行ってこそこの社会の成員が「ひとしく受忍」することができるわけです。

ニセモノの受忍論を本物の受忍論で上書きしなければなりません。そのためには安倍政権の不作為を決して「受忍」してはならないのです。