『[ブラック・セプテンバー]ミュンヘン・テロ事件の真実』(DVD)


監督:ケヴィン・マクドナルド
ナレーション:マイケル・ダグラス
1999年、アメリ

スピルバーグの『ミュンヘン』が題材とした、1972年のミュンヘン・オリンピックにおけるイスラエル選手団人質事件についてのドキュメンタリー。概要はすでに町山智浩氏が紹介しておられるので、そちらをご参照いただきたい。このドキュメンタリーでは生き残った犯人3人のうち2人がイスラエルの暗殺団によって殺害されたとされているが、町山氏によれば事実はそうではないようである。また、イスラエルの暗殺団が、事件と無関係であることがわかっている人物を暗殺の対象としたことも言及されていない。
難を逃れたイスラエル選手団の一人が「マスコミは(事件を)見せ物にしようとしている」と批判するインタビューが収録されているが、町山氏も「不謹慎」と批判する「チャイルド・イン・タイム」の使い方(まあ、当時のロックがよく使われている映画ではあるのだが)など、この映画にも跳ね返ってくるであろう批判だ。とはいえ、「見せ物」にせずに「見せる」にはどうすればよいかについて、確たる方法論があるわけではないし…。


なおこのエントリを「戦争犯罪」というカテゴリに納めるのはいかにも不自然だが、カテゴリというのはむやみに増やしても不便というか不都合が生じるので、「開設の辞・更新履歴」でお断りしておいたように「武装組織による不法・不当な暴力」というかなり広い意味でこのカテゴリを用いることにする。


関連エントリ
『ミュンヘン』
宮代真司の『ミュンヘン』評
マル激第261回

 上記「マル激第261回」で私は次のように書いた。
また、空港で殺された人質の大部分は実は西ドイツ警察の銃弾に倒れたという事実を明らかにした「ドキュメンタリー」に言及し、『ミュンヘン』についてはその情報を知らずにつくったのだからやむを得ないところもあるとしつつ、それでも(ただしこのあたりの理路はしゃべくりに特有のこととしてややはっきりしない)『ミュンヘン』は反パレスチナ的映画になっている、との評が。たとえば主人公たちについては任務への躊躇いが描かれるのにアラブ側についてはそうでない、主人公たちは綺麗な映画をしゃべっているのにアラブ人はそうでない。アメリカ人向けにつくったと考えればまあ「こんなもの」だが、要は在外ユダヤ人の立場を率直に代弁したものだ、と。 しかし、町山智浩氏が紹介している『ブラックセプテンバー/五輪テロの真実』は1999年に公開されているので、人質となった選手団の死に関する真相をスピルバーグが知らなかったとは到底思えない。
しかしながら、この映画では「空港で殺された人質の大部分は実は西ドイツ警察の銃弾に倒れたという事実」は描かれていない。Miyadai.comの「下にアップロードした文章に関連する原稿です」を読み直すと
■良いか悪いかは即断できない。そこで注意を外された焦点が何であるのかを 精査する必要がある。『ミュンヘン』は七年越しのプロジェクトだと言うが、 映画公開目前の昨年10月4日、イスラエルの新聞『Yadioth Ahronoth』が興味 深い記事を打っている (http://www.imec.org/index.php?option=com_content&task=view&id=14261&itemid=1)
■故ラビン首相の元スポークスマンで前述の『赤い王子の追跡』共著者でもあ るハーバーが、ドイツ政府の極秘検死報告によれば、テロリスト8人中5人、殺 害されたイスラエル選手11人の内9人が、ドイツ警察の狙撃兵に射殺されたと 推定されると、公式に認めたのだ。
■同じ記事でハーバーは、人質に犠牲が出てもテロリストを射殺することにイ スラエルが合意していたこと、モサドの暗殺チームに殺された者たちの過半 が、真のテロ関係者の捕捉が難しいが故に、テロと関係ないと分かっていて暗 殺対象に選ばれたと明らかにした。
■時間的に言えば、映画『ミュンヘン』がこうした事実を故意に隠蔽して作ら れたとは断定できない。但し以前から噂はあったし、テロから七週間後のハイ ジャックによってテロリスト3人が釈放されたのは、テロ対象から自国を外し てほしいドイツがイスラエルに無断でPLOと取引した結果だと先のノンフィクションやドキュメンタリーが述べてきている。
となっている。マル激を聞き直してみたがやはり私の聞き違いだった。なぜか『[ブラック・セプテンバー]ミュンヘン・テロ事件の真実』のことを話しているのだと思い込んでしまっていた。