案の定…

渡嘉敷村での民間人集団自決が「軍の命令によるものではなかった」とする新証言…で「まあ、なんというか・・・歴史が塗り替えられる場面と言うか」と大はしゃぎのひとがいるわけだが、別に新証拠、新証言の登場によって通説が塗り替えられるケースなんて歴史学では(歴史学じゃなくても)腐るほどあったわけですよ。比較的最近のものでは、沖縄返還にあたって日米間に「密約」はなかった、というやつね。まあこれは現代史学では密約があった、という方が通説だったかも知らんが(笑) アメリカの公文書公開、当時の外務官僚の証言によって密約の存在が明々白々になったのに日本政府はまだしらを切っている。「嘘」としては公権力によるこっちの「嘘」の方がよっぽど悪質でしょう(こちらの事件だって個人の名誉に関わる問題だったし)。特定の将校の「命令」によるものではなかったとしても、沖縄における民間人の集団自決が「強いられた」ものだったことには変わりないのだし。名指しされた将校の名誉の問題としては非常に重要だろうけど、沖縄戦歴史的評価全体からすればさほど大きな問題ではない。「生きて虜囚の辱めをうけず」は軍の(実質的な)命令だったんだし(たとえ直接には軍人に向けられたものだったとしても)。
通説はしばしば覆る…からといって異説のあるトピックについてはいちいち全部を記載せよ、なんて主張は小学校〜高校における教育の機能をはきちがえているとしか思えない。だいたい、教科書の厚さが倍になっちゃうよ。


心配しなくたって、現時点で疑うべき理由のない当事者の証言を信じたからといって(ちなみに、法廷証言じゃないわけだから「反対尋問を経た供述証拠ではない」という意味での伝聞に過ぎませんわな、現時点では)「歴史修正主義だ」なんて言ったりしませんから。日本軍の戦闘詳報だとか、目撃者や生存者の法廷証言があるのに「南京事件の証拠は伝聞ばかり」と主張するのは歴史修正主義(か、単なる無知)だと思いますが。