のど元過ぎれば…再び

あと、こちらでもまだ続いてます。ちなみにこの「潜水艦」氏も私がA級戦犯分祀を主張していると思い込んでいる。もちろん私はA級戦犯分祀なんて主張したことないわけで。というか、そもそも分祀を主張している左派ってそんなにいますか? むしろ保守穏健派でしょう、「分祀」を発想するのは。「分祀」すれば首相の靖国参拝への障害がなくなる、と考えてるわけだから。「脳内サヨク」退治に夢中になって、実際に左翼の書いたものなんて読んでないわけです。
先日書いたこととも重なりますが、「東京裁判はけしからん、あんなものは認めん!」といいはるひとは、じゃあ「歴史のif」を認めるとして一体どういう戦後処理を構想するんでしょうか? 相手のあることですから、日本の言い分がそのまま通ったりはしないんですよ。ポツダム宣言第10条は断固拒否、と。で、その後は? ヨーロッパ戦線、アジア・太平洋戦線をあわせて6千万人が亡くなったとも言われる大戦争の後始末ですよ? 相手がそう簡単に「戦犯の処罰はしない」なんて条件呑んでくれるはずはないですよね? 10条断固拒否して本土決戦やりますか? その場合日本側に出る死者は、戦犯裁判で死刑になった人間の数とは比べものにならない数になるでしょうね。それから、南京はじめ中国各地で、日本は裁判すらせずに捕虜や「便衣兵」や「反日分子」を処刑していたこと忘れましたか? 自分の方は裁判すらせずに殺しておいて、裁判で死刑にするのがけしからんというのは、身内に甘く他人に厳しいのが人間の性とはいえ、あまりに自己中心的に過ぎるんじゃないでしょうか。そういう人には敵国の死者のことを問題にしても通用しないでしょうから、日本側の死者のはなしでいきます。300万の日本人犠牲者が出たことを「戦争だからしかたない」と考える人が、なぜ戦犯裁判による死者については「しかたない」と思わないのか。戦闘で連合軍に殺された戦死者については「しかたない」と考える人が、なぜ連合軍のおこなった裁判による死者については「しかたない」と思わないのか。200万を超える日本軍の戦死者のうち、半数以上は広義の餓死であるわけですが*1、その責任はもちろん総力戦を戦う国力も戦略もないのに戦線を広げた軍・政府首脳にあり、机上の空論でしかない作戦を立て強行した参謀たちにあるわけですが、戦犯裁判を拒絶する人々はなぜ100万を超える餓死者を出したことに怒らないのか。
少なからぬ日本人の意識のなかでは1945年8月15日で戦争は終ってしまっているのでしょう。だからそれ以降におこなわれた裁判はけしからん、となる。戦争は終ってるんだから水に流せよ、と。しかし講和条約が結ばれるまでが戦争なんですよ。戦争するだけやっておいて、戦後処理も済まないのに「はい、降伏したんだから水に流してね」なんて理屈が国際的に通用すると思いますか? 逆の立場だったらどうです?


追記:B級裁判に冤罪が少なくない、という物語*2もまた戦犯裁判の受容を阻害している要因の一つだが、日本軍が敗戦時、先手を打って大量の公文書を焼却したりしていなければ、冤罪の防止に役立ったことだろう。

*1:秦郁彦は7割前後、という試算も紹介しているが、根拠は不明。『昭和史の謎を追う』(下巻、文春文庫、第32章「人肉事件の父島から生還したブッシュ」)

*2:「物語」というのは、別に冤罪の存在を否定しているわけではなくて、具体的な根拠抜きで「B級戦犯裁判は不公正だった」という断定だけが数多く流通していることを指しての表現。