老若男女ヲ問ワス徹底的ニ掃蕩ス

すでに一部を紹介した秦郁彦、『昭和史の謎を追う』(上下、文春文庫)から、いくつか紹介。
まずは第17章「マレーシア虐殺報道の奇々怪々」。章題からは虐殺の存在に懐疑的であるかのような印象を受けるが、実際にはそのようなことはない(犠牲者数について諸説あることは指摘されているが)。それより興味深いのが、林博史によって発掘された第五師団歩兵第十一連隊第七中隊の陣中日誌が紹介されているところ。中国戦線で戦った部隊の戦闘詳報、陣中日誌にも捕虜の殺害や、敵性住民のうち子供と老人を除く男性を殺害したことについてはしばしば記載があるが、第一大隊からの命令による1942年3月、ネグリセンビラン州における「討伐」では、「鉄道線路及線路の両側500米以外の支那人及英国人は老若男女を問わず徹底的に掃蕩す」、と記載されているというのである(427頁、仮名遣いを改めた)。陣中日誌に記載されている以上、現場の暴走ではなく命令に基づいてのことと思われるが、秦郁彦も指摘する通りなぜこの地域では「老若男女」が「掃蕩」の対象となったのか、という問題は残る。あるいは命令では対象が(子供と老人を除く)男性に限定されていたのに現場が独走し、かつ子供・老人・女性までを「掃蕩」の対象とすることに疑問を持たなかったため正直に記載したのか。それとも単なる治安対策を越え、当該地域の無人化を狙った命令があったのか。マレーシアでの華僑殺害については他に文献も買ってあるので、いずれまた改めて。


第30章「東京裁判」は、「裁かれなかった人たち」というサブタイトルが示すように、A級戦犯弁護論ではない。

(…)最近盛んになった東京裁判批判は、共同謀議の不存在と、事後法で裁くのは国際法の原則に反する、という二点が焦点になっているようだ。もっとも、この批判は実質を観察すると必ずしも当たっていない。
ナチス戦犯を裁いたニュルンベルク裁判のように、共同謀議理論を全面的に日本へ適用するのは無理らしいと途中で気づいた判事団が、既存の国際法で承認されている残虐行為などの戦場犯罪責任を併合できるものだけに死刑を科す方針に、切りかえたからである。

とのことである(198-9頁)。やはりイメージではなく、訴訟記録に基づく裁判批判が必要、ということ。

第31章は「BC級戦犯たちの落日」。本全体のタイトルといい各章のタイトルといい、なんというか保守派好みのロマンティシズムを感じて違和感があるのだが、しかし本章では「BC級戦犯たちを無実の罪で死んだ被害者か、勝者が敗者に科したドサクサ裁判の不当な犠牲者と見なす風潮」を「偏ったイメージ」と評するなど(225-6頁)、連合国側に対しても非常にフェアな記述になっている。
とりあげられているのは、副題の「アンボンで何が裁かれたか」が示すように、オーストラリア主催の法廷が裁いた「アンボン事件」である。1990年に日本でも公開されたという映画『アンボンで何が裁かれたか』は直接的にはフィクションであるものの、膨大な訴訟記録を下敷きに脚本が書かれており、モデルとなった人物も大抵特定可能であるという。他国の裁判に協力的でないアメリカの態度もあって最高責任者を処罰できず、下級将校の処刑に立ち会うこととなった豪軍兵士の葛藤も描くなど、単に裁判賛美にとどまらない内容であるとのこと。
アンボン事件の詳細(不明な点も含めて)、誰が裁かれ、誰が裁かれなかったかをめぐる経緯は直接本書で確認していただきたいが、この裁判の評価に関わる文章をいくつか引用しておく。

(…)終戦になって進駐した豪州軍は、五二八人いたはずの捕虜が一二三人しか残っていないこと、しかもその半数が入院を要する重態者であるのを発見すると激怒した。
大多数が栄養失調と病気による死者だったが、八割に達する消耗率は全前線の三割(ネルソン)と比べても、異常に高い。四六年一月二日から始まった裁判で検察側が、集団的かつ計画的虐待であり、食糧を漸減して捕虜の絶滅を狙った、と非難したのも無理はない。(240頁)

南京事件を「戦友への復讐」として正当化する向きもあるが、日本軍に殺害された捕虜もまた連合軍にとって「戦友」であった。また、下級将校は「上からの命令を兵に実行させる立場」であるがゆえに日本側では同情の対象となりやすいが、捕虜を生かしておくのはおかしい、という気分は下級将校のあいだにも存在しており、自ら「試し斬り」を申し出るケースも少なくなかった、とのことである(242頁)。「戦陣訓」が日本軍による捕虜虐待の背景にあった、という分析は極めて当然であろう。
他方、「復讐」心にかられていたのは連合国側の兵士も同じで、法務省が受刑者から収集した不満の調査が紹介されている。警備兵に「意地悪」されるというケースもたしかに存在した(しかし少なくとも組織的な殺害事件を起こしていないことは記憶にとどめるに値するだろう)。これについても、秦氏は次のように評している。

受刑者ゆえの被害妄想や法体系の差を考慮して、この調査結果をどう読むか、人によって意見は分かれるだろうが、アンボン裁判の宗宮信次主任弁護人(『アンボン島戦犯裁判記』)を始めとして、プロの法律家の間では「まず公平な裁判」と判定するものが多い。(…)

またB級戦犯裁判全般について、

  1. 捕虜殺害で起訴されたケースでは、ごく一部の例外を除き、軍律裁判などの法的手続き抜きで処刑している。
  2. 証拠不十分などで不発に終った事件も少なくない。
  3. 対原住民犯罪の多くが見逃されている。

と分析している(223-4頁)。1.について秦氏は「言いわけは通らない」「軍律裁判をやっておいたケースでは極刑者を出していない」「形だけの法的手続きさえ怠ったのは、理解に苦しむ」とキッパリ。2.は証拠の乏しいものまでむやみやたらに起訴したという通念を覆すものである。3.は太平洋戦争の性格を考えるうえでも重要なところであろうし、連合国側にとっても反省材料であるはずだ。


第32章、「人肉事件の父島から生還したブッシュ」はスキャンダラスな題材ゆえ、ここで詳細に紹介するのははばかるが、父島に派遣されていた部隊の将校たちが捕虜を虐待したうえその肉を食べた、という事件。パパ・ブッシュ爆撃機パイロットとして父島沖で撃墜され、味方の潜水艦に救助された。もし父島の日本軍の捕虜となっていたら…というわけ。
もちろん、この事件そのものは日本軍の戦争犯罪のなかでもかなり特異なもので、安易な一般化はすべきでなかろう。人肉食事件とはいっても、父島ではさほど食料事情は逼迫していなかったとのこと。なにしろ「少将・旅団長ともあろう者が金属のステッキをふるって捕虜に襲いかかった」というのであるから、孤立した環境や指揮官のパーソナリティーに起因する部分がかなり大きいようである。
ただし、この人肉食事件それ自体は訴追されていなかった。法的には「屍体損壊侮辱」であるから、特に戦争犯罪として訴追しなかったわけである。アメリカ側のショックは大きかったはずだが、そこはちゃんと一線を引いたわけである(269頁)。グアム裁判では手続き的にもアメリカ人が被告になるのと同じ場合の権利が与えられ、三段階の再審制(最終段階は海軍長官)が適用されて、その過程で一審判決が大幅に軽減されている、という*1。ただ、さすがに父島事件に関してはただの一人も減刑されなかったという(同)。


はなしが本筋からずれるが、パパ・ブッシュのエピソードを読むと改めて米軍が自軍兵士・将校の生命に対して払う配慮と日本軍のそれとを比較してしまう。そりゃあ軍事的に優位に立っていてそれだけの余裕があったからだ、とは言えるだろうが、被弾するとたちまち炎上する一式陸攻零戦をひきあいに出すまでもなく、日本軍の装備・作戦はそもそも兵士の人命軽視のうえに成り立っていたと言わざるを得ない。

*1:この点については、林博史の『BC級戦犯』にも解説がある。