「もしも」のはなし

bat99さんの「bat99の日記」より

 横浜裁判に限らず、BC級戦犯裁判全体について色々と問題はあったことは事実だと思う。だが、裁判などせず日本人に直接復讐したいと思った人間は数多くいた。裁判という形式を取り無秩序な復讐を良しとしなかったことは評価すべきだ。その上で個々の事例について批評すべきだろう。

通常の戦争犯罪については、日本軍もアメリカ軍の兵士を軍律裁判で(あるいは裁判抜きで)処刑しているのであるから、B級戦犯裁判に関する限り裁判全体をひとくくりに否定してしまうのはあまりにも無理。また、個別の事例にあたってみると、米軍が限られた時間で、またことばの壁を越えて、少なくとも裁判のかたちを整えるに足るだけの準備をしていることがわかる。この組織力は率直に評価すべきだろうと思う(東京裁判弁護団長だった清瀬一郎氏も同様の感想を残している)。


他方、連合国による戦犯裁判との関連で気になっているのが、連合国が連合国将兵戦争犯罪に対してどのような態度をとったか、である。戦略爆撃については政治的理由から「戦争犯罪」とは認めなかっただろうし、また対日戦争では日本人非戦闘員を巻き込むような戦いが少なかったから、日本軍が行なったような規模の非戦闘員殺害は発生しなかった。しかし敗残兵・投降兵の殺害についてはかなり広くみられたようである。吉田裕によれば「アメリカの場合は捕虜収容所に入れてから虐待して殺すということはないですけど、投降してくるところで殺している例はかなりある」。ジョン・ダワーの『容赦なき戦争』(平凡社ライブラリー)によれば、飛行機で収容所へ移送する途中に、オーストラリア軍兵士が日本兵捕虜を放り投げ、自殺したと報告していた事例もあるとのこと(144頁)。日本と違って、連合軍兵士のこのような振る舞いが報道されるとそれを批判する投書が『タイム』誌に載ったり、輸送艦を沈められ漂流していた日本兵を機銃掃射で殺害したオーストラリア軍パイロットを戦犯として処罰せよという要求が戦後オーストラリア国内から出て論争になるなど、自軍の戦争犯罪を自発的に追及する声が戦争中、戦争直後に公にされた、という点である。こうした声は結局は少数派に留まったのではあるが*1
では、現場レベルはともかく、連合軍の上層部はこうした事態にどのような方針で臨んだのだろうか。このあたりはまだ勉強不足なのだが、すべてとは言わぬにせよせめて相当悪質なものだけでも裁いたのかどうか。白井洋子、『ベトナム戦争アメリカ』によれば、非戦闘員の殺害に疑問を持つ兵士もなかなかそれを口にできずにいた雰囲気が多少なりとも変わったのは、ソンミ虐殺が明らかとなり軍法会議が行なわれてからだ、という。軍全体の方針として自軍の戦争犯罪を(目に余るものだけ、にせよ)見逃さないという意思を示せば、蛮行に走ろうとする他の将兵にストップをかけやすくなることは容易に想像できる。さらに、連合軍側の戦争犯罪も見逃さないという姿勢を(たとえ象徴的にであれ)日本国民にアピールしておけば、戦犯裁判の受容のされ方もずいぶんと違ったような気がしてならない。

*1:日本軍が連合軍将兵を捕虜にした地域と比べて、連合軍が日本軍将兵を捕虜にした地域が、一般に捕虜の給養がより困難な地域であったこと、「戦陣訓」に従う日本兵の行動が敗残兵の殺害に拍車をかけたこと、この二点も考慮に入れる必要はあろう。