「あった」論と否定論の非対称性(追記あり)

土曜日以降の、私とここのブログ主氏との間のやりとりをご覧になって、「Apemanもさっさと答えてはなしを先に進めればいいのに」と思った方がおられるかもしれない。土曜日の晩から日曜日の未明にかけてあちらが書き散らしたエントリ、およびコメントをご覧いただけば私がまともに相手をする気をなくすのはご理解いただけると思うのだが(いまだに、平然と嘘をついたことについてはなんの釈明もないわけだし)、もちろん主たる理由はそれではない。
第一に、「数」を問題にする際に重要になる二つの問いが無視されたこと。一つは例の「11の問題」の一つである。南京事件が実在したなら犠牲者数をきっちり言えないのはおかしいじゃないかと主張しつつ、埋葬記録については「大体やね〜、112266体なんて、キッチリ出す方がおかしい」などと言ってはばからないダブスタ。一体どっちなんだよ! ちなみに、敗残兵掃討ならともかく、埋葬記録について端数まできっちり記録があるのは別に不思議なことでもなんでもない。各埋葬隊が、その日に埋葬した遺体数を報告し、それを合計すれば1の位までの数字が残って当然である(もちろん、10万のオーダーともなれば誤記、数え間違い、重複等で結果が不正確なものであっても不思議はないが)。ちなみに、南京攻略戦後における埋葬記録は日本の特務機関も承知していたはずのものであるが、私が知る限り日本側から「そんなにたくさん死体があるはずがない」というクレームがついたという記録はない。もしあるなら、ご教示を歓迎します。もう一つは、日曜日になってからコメントしたことなのでいったん譲歩して保留しているが、このエントリへのコメント欄のコメント(犠牲者数について諸説ある大虐殺の例はいくつもあるが、それらはすべてマボロシだと考えるのか? という趣旨の)が無視されたこと、である。


要するに、「ワシ。」氏が南京事件の犠牲者数なり事件当時の難民数を「知りたい」から質問しているわけじゃないことは自明であり、東中野修道を中心とする否定論者の文献をもとに自分なりの答えを持っていることは明白だ。そして、トラックバックをいただいた good2nd さんが書いておられるように、第三者に「あれ、ひょっとしたら南京事件の根拠って怪しいのかも」とだけ思わせることができれば、否定論者にとっては十分な成果となるからだ。というのも、現在「南京事件は起こった」は、大学の歴史学講座にポストを持つような研究者の大部分の間で通説であり、日本政府が認めることでもある。つまりは「アポロは月に行った」ほどではないにせよ、「進化論は(基本的には)正しい」に準じるほどには通説なのである。というわけで、南京事件否定論にとっては、それがあたかもまともにとりあうに価する仮説であると思わせるだけでも大いなる前進となる。しかしこちらとしては「ひょっとして南京事件ってホントにあったのかも」と思ってもらうことで満足するわけにはいかない。なにしろダブスタも嘘も厭わない人物を相手にしているのだから、取れる言質はしっかり取っておかないと平気で過去の経緯をひっくり返されかねないのである。


もう1点。「不当な殺害」と「不法な殺害」の区別についても付言しておく。「(大)虐殺」は本来、必ずしも「不法」な殺害に限定されるべき理由を持たない。日本国憲法は「残虐な刑罰」を禁止している(第36条)が、このことは死刑の執行方法に関しても残虐であるが故に排除されるべきものがあることを含意している(実際、絞首刑が残虐な刑ではないかという問題提起はある)。ということは、たとえ法的には「殺害してもよい」ケースであれ、その殺害の方法を問題にして「虐殺」だと言いうるわけである。この点は、南京事件否定派がたまにひきあいに出す問題、すなわち日中戦争が法的には(中国が日本に宣戦を布告する1941年12月まで)戦争ではなかった、ということを考慮に入れるならさらなる問題を提起する。そもそも、敵国戦闘員の殺害や便衣兵(単に軍服を脱いだというだけではなく、軍服を脱いで武力行為に及んだ、という意味での)の殺害が合法的であるのは、戦争が合法的であるからに他ならない。しかし、37年12月において「戦争」が存在しなかったのだとすると、日本軍は中国で一体なにをしていたのか? 駐兵権のあった上海での「居留邦人保護」のための出兵はとりあえずよいとして、南京で日本が軍事行動を行なうことにいかなる法的根拠があるのか? もし日本側がしかるべき法的根拠を示せなければ、南京における日本軍の軍事行動は、たとえ戦時国際法における捕虜や敗残兵の扱いに関する規定を完全に遵守していたとしても、すべて違法である。これもまた、否定論者の持ち出す「数」の議論に安易に乗るわけにはいかない理由となる。


追記:ブクマコメントより

2006年10月31日 buyobuyo ネット右翼 なかった派は増えてきている印象。また戦争に負けるぞw

ある意味では、冗談でなくほんとにそうだと思いますよ>また戦争に負けるぞ。もちろん、“今度の戦争”は十五年戦争とは全くちがったかたちをとるということは前提したうえで。「なかった派」が跋扈するということは、組織としての、何重にも非合理的な選択をきっちり総括できない、ってことだから。